小説

『兎ろ兎ろ。(とろとろ)』紅緒子(『うさぎとかめ』)

 亀は愚鈍だからあたしみたいに繊細にささいな出来事から想像をめぐらすことはできない。似合いもしないのに、亀はピンクのエプロンとパフスリーブのワンピースの制服がお気に入りなのだ。カフェの店内に出るまで、亀らしくのろのろと鏡の前で最終点検をしている。
 バイト仲間の山田くんは偶然同じ大学の同級生で顔はジャニーズ系だけど、工学部のくせにエヴァを見てないし、無口で会話が続かないし、あたしはもっと自分を楽しませてくれる男としかつきあいたくない。苗字が山田だから「太郎くん」というあだ名をつけてやると、亀がめちゃめちゃウケていた。亀は笑いの感度が低いから、いっしょにいると松本人志になったような気分になれる。
 あたしが1週間でカフェをやめたあとも、亀はとろとろと同じバイトを続けている。
 長期のバイトは人間関係がはまらないと退屈でしかないし、短気のバイトをいっぱいすることにした。イベントコンパニオンは色んな制服を着られるし、基本一日だけしか同じ人といないから気楽だ。ケータイ、自動車、インターネットなど、キャンペーンは色々あって、そのイベントに応じてグッズももらえる。キャラクターのミニハンカチやクリアファイルやお菓子なんかだけど、タダでもらえるものは何でももらっておかなきゃ損でしょ。
 クラブにお酒の試飲のキャンペーンガールで入ったときにチケットをもらったので、亀を誘ってパーティーに出かけた。自分よりブスが隣にいれば、うさぎ的かわいさが引き立つ。誰でもいいからナンパしてくるなれなれしい男にまで亀は律儀に返事している。つまんない話はスルーして酒だけおごらせてトイレに行けば終わりなのに、亀はナンパに来る男来る男、しっかり相手して時間を浪費している。
 試飲したときにパーティーのチケットをくれた男と目が合った。そのまま乾杯して「ちょっとエアコン寒いね」「外に出ようか」と会話しただけで、お互いに気があることがわかる。後は早くてそのままカラオケボックスに行って、下着はつけたままぎりぎりまで抱きあった。あたしは処女だから挿入は受け付けない。いつか出会う本気で好きになれる男のためにとってあるけれど、性欲はあるから下着の中に手を入れられるぐらいなら楽しめる。クラブに置き去りにしてきた亀からケータイに着信があった。悪女が男をふりまわすみたいに、亀に冷たくする自分が好きだ。亀を置き去りにして、キスできる程度に顔の悪くない男とくっつきながら優越感にひたっている。

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