小説

『手袋と赤ん坊』ふくだぺろ(『北米先住民の民話』)

   「パンゲア」という呼称が登場するのはそのヴェーゲナーの『大陸と海洋の起源』第二版(1920年)からである。銀杏たちはむかし大陸がひとつだったことを知っていたがそれにわざわざ「パンゲア」とかなんとか名前をあたえようとは思わなかった。ただかれらの昔語りが「むかーしむかし、大陸がまだひとつだった頃」ではじまることから、彼らが「パンゲア」を種の経験として知っていることがわかる。そう、それくらい、銀杏にとっても個人としての経験を超越してる、むかしの約束だった。

   約束自体はあらゆる約束がそうであるように、他愛もないことだった。「野球やりにいこうぜ、磯野」せっかく誘ったのに、大陸が移動してしまって野球ができなくなったのだ。バットとグローブはあったけど、ボールは磯野にあずけたままだった。ささいな、でも当人にとっては痛恨の心残りは世代をつらぬいて生き残った。アラスカで化石になってる従兄弟の磯野と野球をできないまま、流されてたまるか!銀杏は踏ん張っていた。

   だから赤ん坊と手袋は枝にひっかかって停まることができた。もしこの銀杏に踏ん張る意志がなければ、赤ん坊と手袋は川をそのまま流されて、どこにいったのかわからなくなっていただろう。ここから5km下流、黒い川と合流する地点では人さし指と薬指を切り落とされた手袋が5万と漂って、川面を埋めていた。中にいる赤ん坊もそっくりだった。もしこの5万の手袋と赤ん坊にまぎれてしまったら、2度といま銀杏にひっかかっている手袋と赤ん坊を見つけ出すことはできなかったろう。そして、どれほど似ていて、実はクローンだとしても、1人1人はまったくちがう手袋と赤ん坊なのである。

   銀杏はもう踏ん張れなくなるのを感じていた。銀杏にはまだ力が残っていた。このまま1000年根を張り続けることだって余裕だ。問題なのは銀杏自身ではなく、根のあいだをさらさらさらさら流れる土だった。銀杏を真っぷたつにわった雷は大雨を連れてきていた。増水して、激しくなった水流が川岸を削っていた。銀杏が倒れかけて地盤がゆるくなった足元は女王を失った蟻の軍隊のようにさらさらさらさら流れていた。
   「これまでか」
   観念した銀杏は根の力をぬいた。まだ生きているのに死んだようにゆっくり、流されはじめていた。それでも根元の土はかわらずにさらさらさらさら流れていた。

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コメント
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    手袋と赤ん坊が流れる川を中心におきながら時間と場所が10000字の短さのなかでぐわんぐわんと途方もなく流れてはもどりまた生まれていく。文字であること読むこと頭のなかで見ることのおもしろさ。民話の奇抜さとうさんくささを残しまくっていてとても好きだ。ふくだぺろの作品がもっと読みたい。(9月期優秀賞受賞者:大前粟生)