小説

『凍てつく血、青銅の心』柳氷蝕(ギリシャ神話『エンデュミオン』)

 目の粗い貫頭衣を纏い、今にも千切れそうな麻帯を腰に巻いているだけの粗末な格好だが、それは彼の輝かしさを露ほども損ねていないばかりか、かえって際立たせている。
 こんな病人のように青ざめた月明かりよりも、温かく輝かしい陽光の下にある方が、遥かに相応しい。この華やかな容貌に対して、そんな風に誰もが思うであろう。
 それは魂の底まで凍えきった死神とて、例外ではなかった。
 ――何と美しい。
 聳え立つ堅牢な氷壁が、煌めきながら溶けてゆくようだった。ただのものとなり果て、朽ちてゆくのを待つばかりである死体と、そこから抜け出た霧消してしまいそうな儚い魂ばかりを見ていた目には、少年はあまりに眩しく、生きていた。
 茫漠たる夜の広がりの中にあるのは自分と少年だけという、そして、このひとときは永劫であるという錯覚に、死神は陥っていた。
 この山を訪れたのはほんの偶然だった。遺体から髪を切り取った場所から一番近い冥界の入り口へと行くには、此処を通れば早いから、ただそれだけだった。
 それだけのことに、死神は限りない感謝を捧げた。冥王にすら捧げたことのない程の感謝を、運命の女神に捧げた。
 そして、少年が深い眠りに落ちていて、目覚める気配がないことにも、心の底から感謝した。骨と皮ばかりで、饐えた死の匂いが漂うような自分の容貌など、あまりにおぞましく醜い。幽明界を異にするとき死神の姿を目の当たりにして、魂の底から怯え震え上がらぬ者はいない。鉄の心臓と青銅の心を持つと評され、生けとし生ける者から最も忌まれ、疎まれ、憎まれる。
 死神は今までそれをどうとも思ったことはなかった。自分は死の化身であり、そういう在りようが最も相応しいのだと、現実を受け入れるのみだった。
 けれども生まれて初めて、己の容姿はとても他人の目にさらせないものだと感じた。
 目覚めた少年に、こんな醜怪な姿を見られたくない。心からそう願った。
 ――もっと、私が兄のように美しければ良かったのに。
 胸の奥が、針で刺されたように鋭く痛む。
 双子の兄は、同じ夜の卵から生まれておきながら、死神とは似ても似つかない程美しい容姿の持ち主だ。肌は白いといえども蒼白いのではなく、高山の頂に積もる雪の如き清冽な眩しさで、体は細いといえども骨と皮ばかりなのではなく、若木の枝のようにしなやかで端正だ。顔のつくりは凹凸を最小限に造られた見事なもので、男とも女とも付かぬ妖しい魅力を放っている。夜の持つ艶やかで美しい部分を兄が、目を背けたくなる忌まわしき部分を死神が分け持って生まれたのに違いなかった。

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