小説

『凍てつく血、青銅の心』柳氷蝕(ギリシャ神話『エンデュミオン』)

 月虹が夜を凍り付かせていた。山頂に出来た小さな泉の水面はその光を受け、氷を張ってしまったように凪いでいる。ひしめき合った木々は葉擦れの音も立てず、眠りこけたように佇立する。かしましい小鳥たちも、今はそのお喋りをやめて短く深い眠りに身を任せている。
張り詰めた冷たい静寂に、一切が沈みきっていた。
 静かな夜だった。
 死神の白貌も月明かりを受けて、より生命のない様相を呈していた。
夜闇で染め上げたような外衣からのぞく腕は、ほとんど骨そのものだ。落ち窪んだ眼窩には血走った眼球が嵌まっており、視線を少し動かしただけで、過剰なほど生々しくぎょろつく。肌はその下に閉じ込めた死の色を透かしているようで、月光を受けて蒼白さを増しているのか、それともその蒼白さが月光をそのようにしているのか、分からない程であった。
 死神は、柔らかい草の上に腰を下ろし、ぼんやりと視線を落としていた。
背には一面に血がこびり付いた一振りの大鎌を負い、右手には、束ねた白い髪を一房掴んでいる。それは人間の遺体から切り取ったもので、これから冥府に下って死者たちの王に献納しなければならないのであった。
 冥王に捧げ物をした後、遺体の周りで彷徨う死者の魂を冥府の門へと連れてゆくというのが死神の仕事だった。人は日々死ぬゆえに、同じ場所にのんびりと留まっているようなことは、冥府の館で眠りに就いている日中でもないのならば、まずなかった。夜の帳が降りている時ならば、東奔西走しているのが死神の常であった。
 だが今、死神は己の本分をすっかり放棄していた。
 その双眸は、一人の少年の姿を捕らえている。
 目を閉じたまま微動だにせず横たわるその少年は、死神がその魂を連れ去る対象ではない。耳を澄ませば、静寂に染み渡るように穏やかな呼吸が聞こえる。深い眠りの淵に落ちているのだ。
 陽光を閉じ込めたような黄金に燦めく、柔らかい巻き毛。固く閉ざされた瞼から伸びる、なまめく長い睫毛。少年と青年の過渡期にある、いとけなく、そして精悍な顔立ち。そして、一流の彫刻家によって造り上げられたかのような、無駄も歪みもない体の均整。
 仄暗い月光により照らし出された彼とその周辺は、輪郭も朧かで、印象派の絵画さながらにけぶっていた。
 類い希な美少年だった。

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