小説

『待つ』野口武士(『浦島太郎』)

「アコ!」
 母の声がして、アコの体はビクッと止まった。同時にフラッシュがまばゆく光り、指にかけたシャッターが「カシャ」っと落ちるのが聞こえる。声をした方を見ると、母が口に両手を当てて、こちらに向かって叫んでいる。
「さっきから何ボーっとしてるの?」
 母と父が訝しげに自分を見ている。ハッとして海を見ると、そこに女性の姿はなかった。そして、夕焼け、子供の声……。全てが元に戻っていた。
「私、女の人と話してて……」
「何言ってるの、アンタそこにずっと一人で座ってたわよ」
 と母が流木を指差して言う。
 私、夢でも見てたんだろうか?それとも魅入られたんだろうか?アコは混乱が収まらず、両親を見つめる。アコのただならぬ様子に気付いて、
「そろそろホテルに戻るか?」
 と父が言う。キーンと音がして、旅客機が空へ昇っていくのが見えた。現実の世界の現実の音。私、どうかしてたんだ。アコは気を取り直して、両親の元に小走りで駆けていく。足が砂浜をしっかり踏みしめる。さっき海に向かって行った時とは全然違う。待ってくれている人の元に行く足の軽さが嬉しかった。二人の前で立ち止まり、両親の顔に向けていきなりシャッターを切る。びっくりした両親の顔を見て、
「二人が満足したんなら戻りましょ」
 と皮肉たっぷりに言ってやった。
 両親は照れ笑いをして、ホテルへの道を歩き出した。
 その後を歩きながら、アコはさっきの出来事が何だったのか、あらためて考えてみる。あまりにも自分が誰かに会いたいって気持ちが強いから、あんな白昼夢みたいなものを見たのかしら。でも、あの女性の声がまだ耳の奥に残っている気がした。どうして、どうして?と問いかける悲しい声。そしてあの海亀の目が鮮明に思い出されて、やはりあれは夢なんかじゃないんだ、と確信めいた考えにかわっていく。
 でも、私が彼女にしてあげられる事はない、と寂しい気持ちで考える。永遠ともいえる時間をああやって過ごさなくてはならない宿命の人。彼女と立場が逆なら、と考えると、常夏の島にいるにも関わらず、背筋が凍るように思えた。

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