小説

『青乃先生』朝蔭あゆ(『土神と狐』)

 春子の死の知らせが届いたのは、梅雨の明けて間もなくの頃だった。
 陽炎の立つ半夏生の日、15回目の夏を越すことなく、美しい彼女は旅立った。
 そして今、時子の目前に穏やかな姿で横たわっている。
 髪を整え、薄く化粧をし、しかしその目は二度と開かれることはない。その姿のなんと無垢なことだろう。そして、なんと自分と隔たっていることだろう。
 野辺送りは、けして盛大なものではなかった。妾腹の娘で、十になるまで家に入ることは許されず、母と2人、遠い土地で生きてきた。天に全てを与えられたかに見えた春子は、しかし孤独の人だったのだ。
 それを知った今、時子は自分がもはや再び光の中を歩くことは許されないと悟った。時子がこの門前に、あの出窓に、来る日も来る日も打ち付けてきた五寸釘は、ついにその役目を果たし、今この時も鈍色に光って時子を呪い続けるのだ。
 時子はいたたまれなくなって席を立った。
 庭の木々の木漏れ日が、時子の肩に落ちる。うなじをじりじりと灼く日差しを、ゆずり葉の梢が優しく遮った。
「時子ちゃん」
 声がした。
「時子ちゃんでしょう」
 振り向かなくともわかる、それは夢にまで見た青乃先生の声だった。凛として美しい、時子の大好きな大好きな青乃先生だった。
「そんなところで、どうしてひとりで泣いているの」
「え」
 そう言われて、時子は初めて自分が涙を流していることに気がついた。
「いいえ、いいえ先生」
 時子は激しくかぶりを振った。
 これはまったく穢れた涙なのだ。友のためでもなく、ましてその短い生涯のためでもなく、ただ呪われた己の身の恥ずかしさのために流される、穢れた涙なのだ。
 それきり黙り込んだ時子の方へ、静かに青乃先生が近づいていらっしゃった。
 時子はただはらはらと涙をこぼすだけで、顔さえ上げることができない。

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