小説

『人参』谷ゆきこ(『檸檬』梶井基次郎)

 突然目覚ましがけたたましく鳴る。時刻は6時。起きる時間だ。結局3時から一睡もできなかった。のみならず、封印していた嫌なものを明らかにしてしまった。むしゃくしゃした気分で、布団を蹴り飛ばして起き上がった。
 出かける用意をしていて、今日が燃えるゴミの日であることに気づく。部屋じゅうのゴミを集め、アパートを出て近所のゴミ置き場へ持って行く。気分はふさいでいるが、空は快晴だ。太陽の光がさんさんとアスファルトに注いでいる。そこに、ぽつんと人参の切れ端が落ちていた。
 人参?どうやら誰かのゴミ袋からはみ出して落ちたらしい。横目でちらっと見たが、私はそのまま通り過ぎ、ゴミ置き場まで行き、袋を置いて戻ってきた。そしてそこにはまだその人参が転がったままになっていた。家庭菜園で採れたものなのか、5センチほど茎がついたままのそれは、頭の部分を少しもったいないくらい残されて、みすぼらしく横たわっていた。そしてなぜか私はその姿に、同情心とどこか惹かれるものを感じた。かわいそうに、こんなところに放ったらかされて。
 ふと、いたずらっぽい考えが頭に浮かんだ。
「そうだ、こうしよう」
 目の前にある家の生垣の足元に、ところどころ雑草が生えている。私は辺りを見回し、人がいないことを確認してから人参を取り上げ、そっと土の上にそれを立てて置いてみた。すると、どうだろう。それまで置物のようだった人参がまるで息を吹き返したかのように、力強くすっくと立ち上がったではないか。人参の本体は切り取られて存在しないのではなく、いかにも土の中に埋まっているように見える。まるで明日になればぐんと茎を伸ばすのではないかと思わせるくらいだ。私はまぶしい思いで、それをじっと見つめた。
不意に私の頭に、次の考えが起きる。
―――これをこのままにしておいて、何食わぬ顔でアパートに戻り、職場に行く―――「そうだ、このままにしよう」
 私はもう一度誰もいないことを確認してから、人参をそこに置いたまますたすたアパートに戻り、すぐ自転車に乗って職場に向かった。

 あの後、どうなったか私は知らない。その家の住人が見たか、それとも通学途中の子どもが見たか。その人は、なぜこんなところに唐突にひとつだけ人参が生えているのかと不思議に思っただろう。そして、指で軽くつついてころんと転がったとしたら、どれほど驚いたことだろう。そしてそれは、どれほど可笑しい光景だっただろう。

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