小説

『人参』谷ゆきこ(『檸檬』梶井基次郎)

 このところずっと、得体のしれない嫌なものが私の心をおさえつけていた。いや、「得体のしれない」というのは少々語弊があるだろう。実は「得体」はぼんやりわかっている。はっきりわかったら気分がより陰鬱になるのが目に見えているので、あえて考えないようにしているのだ。無理やり仕事に没頭して時間に追われるようにしたり、テレビを見たり、酒をあおったりなどして気を紛らわせている。それでも自分の胸が始終誰かにおさえ付けられているような感覚であることに変わりはないのだった。
 ところが今日は明け方の3時頃に目が覚めてしまって、どうしてもそれから眠ることができないでいる。昨日、あまりに仕事がきつくて疲れてしまい、晩飯を食べた後酒も飲んでいないのに、そのまま畳の上で寝てしまったのだった。とりあえず歯を磨いて風呂に入ったものの、そんなことをしたせいでますます目が冴えてしまった。ろくなテレビもやっていなく、特にすることもないので、ひたすら避けていた「得体」についてつい考えをめぐらしてしまう。

 今日も私は朝の7時にアパートを出て、家電製品の組み立て工場に行くのである。私の担当は懐中電灯。7時半から職場でその日のスケジュールを確認する。一口に懐中電灯といっても、品数は大きく分けても10以上ある。赤い物、青い物など色味の違いまで入れると30くらいはある。7、8件の発注先が毎日違う数字をいってくるので、パートたちが来る8時までにその集計をし、それに必要な何十種類もの部品をどれくらい用意するべきなのかを出しておかなければならない。パソコンに入力すると勝手に計算してくれるのでプリントアウトするだけなのだが、入力に間違いがあると大変なことになる。過去何度かミスし、パートたちからは白い眼で見られ、工場長からはこっぴどく叱られているので、細心の注意を払わなければならない。なにしろ私は肩書きこそチーフというものの、以前の職をリストラされてやっと拾ってもらったパートの身分。工場長とその部下の社員には頭が上がらないのだ。そして、下の身分である口八丁手八丁の一般女性パートたちにも気を遣い愛想笑いしている40男なのである。
 女性パートは全部で30人あまりいる。この工場ができて今年でちょうど10年。パートの中には10年選手も7,8年選手も、つい数か月前から働いている人員もいる。なかでも社歴の長い者たちはこれまでの様々な出来事を知っているため、私を小馬鹿にする一方、工場長や社員と親しい者が多く、陰で何を言っているのかとヒヤヒヤする。必然的に私がこの者たちの言いなりになってしまうのは仕方のないことなのだ。
パートたちの職種は3つに分かれる。何十種類もある部品を定位置に置く配置担当、その次の工程の組み立て担当、それに、商品を箱詰・梱包して配送部門まで運ぶ梱包担当だ。

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