小説

『ピンクの100円ライター』山名美穂(『マッチ売りの少女』)

 コバヤシは一通り話を終えると、コーヒーとライターをベンチに置いて、いつの間にか燃え尽きてしまったタバコを更にもみ潰し、携帯灰皿の中に入れた。そそのまま空になった両手をひざの上で組み、黙った。彼の目の先を追うと、そこには高校生のカップルがいた。しばらくふたりを眺めた後、さっきとは違った、気の抜けた声でコバヤシは言った。
「寒さなんか感じないんだろうなぁ、あのふたり」
 若い恋人同士はわたし達がやってきたときと同じ体勢で互いを支え合っていた。 女の子は、渋谷辺りで買えそうな薄い黒のハーフコートに、チェック柄でフリルのついたミニスカートをはいていた。黒いブーツは合皮なのか、電話ボックスからこぼれる光に照らされツルツルと光った。紫色のざっくりとしたマフラーを首に巻いて、男の子の肩に頭を乗せている。男の子の方は、色あせたジーンズに汚れたスニーカー。プリントが入った黒いカットソーの上に、厚みのない汚れた白のダウンを着ていた。首には、シルバーのネックレスをかけている。
「若いと寒さにも強いんだなぁ…。それとも恋するふたりだからなのかなぁ…」
 すごくのん気そうな調子で、二本目のタバコに火をつけながら、コバヤシは言う。
「お金がなくてもあったかいって、素晴らしいよなぁ…」
 あまりにもしみじみとした口調だったので、わたしは思わず笑ってしまった。
「暖かそうなコート着てる人が、何を言ってるの」
 コバヤシは上体をわたしのほうに向けて、なんだか複雑な表情で微笑した。
「コレは、去年のボーナスの化身。触ってみ。すげー気持ちいいから」
 わたしは促されるまま、手袋から引き抜いた右手で、コバヤシの着るコートの左腕あたりをそっとなぜた。それはとても滑らかで、しなやかな上等の架空動物の毛並みのように、素敵な手触りをしていた。わたしは何度も、コートに置いた手を上下させた。
「気持ちいい。どこのコート?」
「グッチ」
 目を伏せ、物静かに表情を変えた彼はそう言って黙った。そして自分のひざ小僧を見つめたまま、左手でわたしの右手をつかむと、ふたつの手のひらをコートのポケットの中に押し込んだ。<さすがグッチ>。 コバヤシの冷たすぎる手にいささか驚きながらも、わたしの最初の感想はそれだった。すべすべとした上質のシルクであろう裏地の心地よさ。 そして、とても暖かい。
「ポッケの中も気持ちいいんだ。それに、とても暖かい」

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