小説

『踊る井田の花』ノリ•ケンゾウ(『小さなイーダの花』)

「そうだよ。だから僕はね、こんな風にね、花たちが楽しそうに踊っているのは、きっと死が近いからなんだと思う。前もこんなに花が楽しそうなときは、朝から夕方に日が落ちるまで一日中花たちは踊り続けて、その日の内にみんな萎れてしまったんだ。でもね、僕は少しだけ嬉しいんだよ。だって来週にはもう、僕はこの学校にはいないから。ここのお花たちの最後を、こうして見届ける事ができて」
 井田ちゃんは最後までこっちを振り返らずにしゃべった。だから私は最後まで井田ちゃんの顔を憶い出す事ができなかった。私に見えたのは、楽しげに踊る華やかなお花たちとその歌声のみで、それはそれは井田ちゃんとの別れを惜しんでいるようだった。
 それから井田ちゃんは、本当に次の週には違う学校に転校してしまったのだ。寄せ書きには、みんなからのお別れの言葉がたくさん載っていた。そのほとんどが、「お花係おつかれさま」とか、「井田ちゃんありがとう」とか、単調な内容ばかりだった。
「うわー、すごい。本当にみんな井田ちゃんに向けてメッセージ書いてるじゃん」
「誰だよ、井田ちゃんは幽霊とか言ったやつは」
「すごーい、懐かしー。先生って、こんなのちゃんと取っておくんだ」
「当たり前だろう」
 私はあの後、みんなと同じように井田ちゃんに向けた寄せ書きを書いたのだった。井田ちゃんとは、あの時に話した一度きりで、つまり私は、他に何を書けばいいのかが分からなかったのだ。
「あ、あのさ、井田ちゃんの花が踊るって言ったのって」
 突然に声を発した私に、みんなの視線が集まる。少し声が擦れてしまっていた。
「私かもしれない」
 そう言って、私は文集を取り囲むみんなの間におどおどと割って入り、文集の中の一部分を指差した。
〈井田ちゃんのお花が踊っているのが、とても綺麗でした。はじめて見ました。どうかお元気で。ーーより〉
 井田ちゃんの手元に、まだこの文集は残っているのだろうか。

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