小説

『玉手箱』東雲トーコ(『浦島太郎』)

 深夜に震える携帯電話を見つめながら雪子を思い浮かべる時、明人の中に在る雪子のシルエットは窓越しに目の合った三つ編みの少女の面影を強く残していた。しかし目の前にいる雪子は十分に成人した女だった。明人はふと雪子の首に小さなホクロがあることに気づく。それから顎のラインが30代女性特有の美しさを持ち始めていることにも。
 女の髪の毛は短いがゆえに幼く見せることもあれば、その逆に妖艶に見せることもあるという不思議に明人は直面し困惑していた。わずかな沈黙が二人の間に漂う。それはいつもとはどこか違うものだった。
「出会った時の髪は残っていないでしょうね」
 雪子はそうつぶやいてから珈琲カップに口をつけた。外ではセミが鳴きはじめ、窓辺のカーテンが静かに揺れている。雪子は言葉をつづけた。
 「私たち、別れましょう」
 それは「おはよう」と言うのと同じ調子だった。冗談でも駆け引きでもない、ありのままの響きを持つ言葉。驚いた明人は顔を上げて雪子を見つめたが、そこには四半世紀を経て少女から大人の女になっていた見慣れない顔があるだけだった。

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