小説

『シェーベ』中村崇(『透明人間』H・G・ウエルズ)

「もう帰ってくるから後できくって切られちゃった」
「どれくらいかかる?」
「今隣の駅出たって言ってたから、あと十五分位かな。なんか今日も鍵忘れて行いっちゃったみたいで、外出しないで待っててって言われちゃった」
「でも一応は安心だね」
「彩は? お母さん?」
「うん。何も言わないで出てきちゃったからすっごい怒ってて。すぐ帰らなきゃ」
「ごめん。でもお父さん帰ってきてからじゃだめ? 送ってもらおうよ」
「んー、十五分後でしょう? ちょっときついかなぁ」
「だけど心配だもん。待とうよ。彩の親にはお父さんが説明するよ」
「大丈夫だよ、大通り通っていくし」
「でも」
「じゃあさ、家に着くまでずっと電話してていい? そしたら安心じゃない? ね、お願い。ホント早く帰らないとまずいし」
「うん。分った」
 彩は玄関まで見送りに出た茜に手を振ると携帯電話を掲げてみせた。すぐに茜の携帯電話に彩から着信がくる。茜は携帯電話越しにお喋りをしながら彩が角を曲がってゆくのを見送ると、彩が家に着くまで他愛無いお喋りを続けた。
 呼鈴が鳴ったのは、電話を切ってから二十分後だった。玄関のドアを開けると稔が手に総菜屋の袋を持って立っていた。
「ただいまー。見ろよ、買えたよあそこのメンチカツ!」
「それどころじゃないって!」
 茜は家に上がろうとする稔を押しとどめた。茜の真剣な表情に稔の表情も硬くなる。
「そっちの塀のとこにある自転車! 早く見てきて!」
 稔は素早く引き返し出てゆくが、しばらくすると不思議そうな表情で戻ってきた。
「なにもなかったぞ」
 茜は苛立ちサンダルをつっかけ自転車が停まっていた場所に走ったが、たしかに自転車はなくなっていた。

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