小説

『シェーベ』中村崇(『透明人間』H・G・ウエルズ)

 誰か入ってきた? 息をひそめても何の物音もしなかった。おそるおそる部屋を出て自分の部屋のドアに耳を当てる。何の気配も伝わってこない。そのまま稔の部屋のドアの前まで行くと、同じように耳を当てる。
 再び自分の部屋のドアに耳を当てるとノブを握り、一気にあける。誰もいない。クローゼットにも誰も入っていなかった。息をつき、自分が緊張している事に気がついた。鞄を床に置くと携帯電話を操作しつつ稔の部屋に向かう。携帯電話を耳に当てながら、稔の部屋のドアノブを掴む。接続音が鳴りはじめる。
 ドアを開け中を覗き込むが、やはり誰もいなかった。階段を下りる。全身が心臓みたいに脈打っていた。トイレ、居間、洗面所のドアに素早く視線を走らせると、電話が接続された。
「あ、彩?」
「こちらは留守番メッセージ伝言サービスです」
 急速に焦りを感じた。正常な判断力を保てないまま手近にあるトイレのドアを開ける。誰もいない。その勢いのまま洗面所のドアも開ける。浴室に通じるドアも開けるが、誰もいなかった。
 残すは居間だけだった。ドアの前に立つと息を整え、ドアノブを掴み力を込める。瞬間、胸が張り裂けそうな音が静寂を切り裂いた。携帯電話のベルだったが、それに気がつくには時間が必要だった。
「茜? 電話した?」
「うん、今朝、窓開けたまま家でちゃって、それで今家の中に誰かいるような感じで……」
「茜、まだあの自転車あった?」
「自転車? え、あ、うん。あったけど」
「今すぐ家出て大通りのコンビにきて! 私もすぐ行くから!」
 自転車? 彩の喋り方は普通じゃなかった。茜はすぐに家を出て鍵をかけるとコンビニに向かって駆け出した。
 数分後、合流した彩は緊張の顔つきだった。彩が歩き出したので、茜は何も言わずについていった。向かったのは茜の家で、彩は青い自転車を眺めると、やっぱり、と呟いた。
「この自転車、さっきニュースに出てた」
「どういう事?」
 彩は不安そうにあたりを眺めると、茜の家を見上げながら、
「まだこの中にいるの?」と、言った。
「分んない。まだリビングは見てないんだ」

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