小説

『木漏れ日の中で息をした』水無月霧乃(民話『送り狼』)

 だから、僕には先輩がいない生活なんて考えられないんだよ。だから僕は柄にもなく慌てちゃって怖くなってしまったんだ。あの送り狼が、先輩を連れて行ってしまうんじゃないかってね。だって、あの送り狼、死んでるから――。きっと、ずっと昔から、あの送り狼が死ぬ前から、先輩はあの送り狼と出会っていて、あの送り狼は死んだ後も守り抜きたいという理由があったらしい。じゃなきゃ、化けて出るわけないんだ。
 僕はそれなりに生きていければ満足さ。だから一つだけの我儘くらい許されるよね。

 
「お願い、その人を、連れて行かないで――」

 僕は情けない声で、送り狼に懇願した。

 
 妖怪に襲われた先輩は気を失っていたのだろう。先輩を襲った妖怪の姿はなかった。恐らく、先輩より少し離れたところにいるあの送り狼が守ったのだ。あの送り狼は既に死んでいる、と一目見て分かった。あの送り狼は、先輩を連れて行ってしまうんじゃないか。与那原先輩はこれからも、その霊媒体質によって危険に晒され続けるから。先輩を守るために、誰の手も届かないところへ――。

 
 まあ、そんなことも杞憂だったわけだ。いやあ、お恥ずかしい。

――――

 
 日が差し込む、大学のラウンジ。与那原と葛葉は向かい合って、民俗学のレポートを書いていた。与那原のレポートは「送り狼の伝承」、葛葉は「キツネと人間」について。それぞれ図書室で借りてきた資料を見ながら、書き進めていく。ふと、葛葉が顔を上げて、レポートと向き合う与那原の顔を見つめて切り出した。
「先輩、実は僕、キツネなんです」
 与那原は顔を上げて、葛葉を見た。その数秒後、与那原はいつもの冗談を流すように「そうか」と答えて微笑んだ後、再びレポートに向き合う。葛葉は与那原の反応に満足して、シャープペンシルを握った。

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