小説

『木漏れ日の中で息をした』水無月霧乃(民話『送り狼』)

 普段の飄々とした態度の中に、こうして幼児のような悪戯が交ぜられるのは、可愛らしい。こういうところが憎めなくて、俺はずっとこいつと一緒に居るんだろう。葛葉の色素の薄い髪が、日に照らされてきらきらと輝いている。それを見て俺は、しばらくあの森の木洩れ日を見ていないことに気がついた。あの森は今、どうなっているのだろう。小学生の頃、近所の子供たちにとって格好の遊び場だった近所の森。中学に上がってからは、日々の生活に追われ、めっきり通わなくなってしまった。あの暖かい木洩れ日は今も変わらずあるだろうか。そしてそこに、あの日の狼はいるのだろうか。日本では絶滅したといわれている狼が、ひっそりと、まだあの森の中で生きているのだろうか。
 あの狼のことは、今日まですっかり忘れていたのだ。あの夢を見るまでは。今になって、夢に見て思い出した。ああ、もう一度、会ってみたい。

 
 人は、生きていけない。人だけでは生きていけない。ふっとそう思う時がある。森林と大地という自然に育まれてきた人間は、少しずつそれを捨てつつある。都会に暮らし、時間に追われて、人の波にのまれ、ストレスを抱えて、気が付けば自分は何をしたかったのか、忘れてしまっているのではないか。こんなことを思うのは勿論俺の想像にすぎないし、都会で立派に生きている人だっているだろうけど。綺麗な空気、木洩れ日と木陰のコントラスト、どこからか聞こえる小鳥のさえずり。こんなベタな言葉でしか、俺は俺の感じる自然の美しさを表現することはできない。それ程自然は雄大なのだ。その自然から離れて、人は本当に生きていけるのだろうか。科学的な理屈の話ではない。木々が酸素を作るだとかはどうでもいいのだ。なぜならそれを仮に克服したとして、自然を無くし、機械と高層ビルに囲まれて生活して、それは本当に人間として生きているのだろうか。ただの社会の歯車となっていないだろうか。俺ならば一年も持たずに発狂してしまいそうなものだ。

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