小説

『あの子は月にかえらない』池上幸希(『竹取物語』)

 レッスンなんて子どもだましで退屈だったけど、日夜子がきてから事務所に行くのがまち遠しくなった。週に二回じゃもの足りないぐらいだ。休み時間はアメ玉を早くなめる競争とか、国語の教科書をかまずにどこまで読めるかとか、雑誌でかわいい子をせーので指さすとか、くだらないことでじゃれ合った。彼女を迎えにきたおばさんに、マネージャーの亜衣さんが「日夜子ちゃんにブラジャーを買ってあげてください」と小声で言うのを聞いて、どきどきしてしまった。いつもだぼっとしたシャツにジーンズ姿の日夜子は、雑誌では白いニットのワンピースを着こなしている。たしかに、胸がまあるくふくらんでいた。
 事務所では時間がかぎられているので放課後にあそぼうとさそったら、きらきらした瞳でうれしそうにうなずいた。自転車で隣町の家まで行くと、日夜子の他に男子が二人いた。兄弟でもないのに一緒に住んでいるらしい。ラッキーなやつらだ。「レオと同い年だよ」と紹介された春太郎は、最初はゲームばかりしていてとっつきにくかった。年上の達彦は無口だけど、微妙に違うらしいマントヒヒとオランウータンのものまねがおもしろかった。
 冬休みに四人で座敷にいた時、春太郎が仏壇のろうそくをくつ下の裏にぬりつけ、畳の上をすべり始めた。ついーっと踊ったりまわったりして、時々すてんと転ぶのもたのしい。おばあさんたちが戻ってこなければ、ボクらはもっと笑いころげていられたんだけど。

 日夜子が虐待を受けているらしいと騒ぎになったのは、新学期が始まってすぐだった。着替えの時、日夜子の腕にただれた痕があるのを亜衣さんが見つけた。その日はたまたま本社から天根専務が訪れていて、事務所におばさんが呼び出された。中学生の女子たちが「ろうそくの痕じゃないかって」とうわさしているのが聞こえ、ボクは心臓がちぢみ上がった。もしかして、このまえ座敷であそんだのが原因ではないだろうか。日夜子はおばあさんが帰ってくるのをやけに気にしていた。どうしよう。もうあそぶなって言われたら…。
 

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