小説

『つまらないものですが』泉谷幸子(『わらしべ長者』)

 携帯の画面に映されたのどかな青空に浮かぶ吹き出しにそんな文字が入っているのを見た瞬間、ぽかんとしてしまった。ヒロシの気が少しずつ離れていっていることを薄々感じてはいたが、まさか突然こんな形でこんなに短い文章で別れを告げられるとは予想していなかった。あたしたちはたったこれだけの言葉で終わるような関係だったのか?しかもラインでなんて。会って直接言うのが誠意ってものだろうけど、無理なら、せめて電話くらいはして当然だろう。あたしだって、実はそれほどヒロシに夢中になっていたわけではない。だから、別れ話が来れば、落ち着いて受け入れるつもりだったのだ。それなのにこれはいったいなに?未練がましく問いただすのも腹立たしいので、返事はしなかった。「既読」で十分だ。ひとことでも返す、その言葉と時間がもったいないと加奈は思った。
 これでもかというくらいじりじりと太陽が照り、汗が噴き出る。ちょうど木陰にいるとはいえ、木漏れ日だけでも十分まぶしい。日傘くらい持ってくるべきだったと後悔しながらタオルで額や首筋を拭く。ふとそばの木に目をやると、いくつもの蝉の抜け殻が幹についている。もとの形をくっきり残した茶色い殻は、主がどこに行ったのかわからないまま、じっとそこで待っているようだった。
「まるであたしだ」
 ヒロシのラインを見てから、加奈は抜け殻のように呆けていた。魂がどこかに飛んでいってしまい、それが戻ってくるのを口を開けて待っている気分だった。でも、蝉は違う。蝉は外の世界を謳歌している。あたしはそうじゃない。では、抜け殻はあたしで、出て行った蝉がヒロシか。それでヒロシは今の世界を謳歌しているってことなのか。こっちの気も知らずに。いやいや、どっちでもいい、どっちでもどうでもいい。そんなことより、このざわついた気持ちを落ち着かせたい。明るいところで気分を変えたい。でも、ここはちょっと暑すぎて明るすぎたか。
 

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14