小説

『蛤茶寮』水里南平(『蛤女房』)

「なぜ、私なんだ? どうして、私の元に来た?」
「ご主人様が、お優しい方でしたので。私を助け、釣っていただいた時も優しく逃がして下さいました」
「君はいったい何なんだ? なぜ、人の姿になれるんだ?」
「蛤の一種です。私たちの種は、80年生きた時に『蛤蜃気楼』を使って人間の姿を模せる様になるのです」
「信じようにも、信じられんが……」
「古き時代には、ハマグリに『八○来里』の文字を当てることもあったのです」
(嘘だろ?)
「今では海も昔のようではなく、私たちの数も減ってしまいましたから……」
 彼女のすすり泣く声が聞こえてきた。
「海に帰ったら、生きてはいけません! それでも、ご主人様がどうしても出ていけとおっしゃるのでしたら……」
 私は悩んだ。確かにかわいそうである。彼女の料理をもっと食してみたい欲求もある。
(しかし、出汁がな……)
 私は、自身を覆っている不快感の正体に気がついた。彼女の料理を心底から食べてみたいと思っている反面、拒絶もしているのだ。
(確認しよう!)
 私は、起き上がり、彼女と面と向かった。
「さっき食べさせて貰った味噌汁だが……あの出汁は……」
「蛤の、お汁です」
「その……やはり、あの……」
 

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