小説

『もみの木』小高さりな(『もみの木』)

 剛は、メールに気付かないなら、電話にだって気付かないだろう、と言い返そうとしたが、悠子は火にかけた鍋をそのままに、寝室に戻っていった。
 剛は椅子から立ち上がって、鍋の蓋を開けた。湯気の立つシチューを皿に盛りつけた。テレビを見ながら、剛が遅めの夕飯を食べていると、リビングのドアが開いた。
 悠子が戻ってきたのか、と剛が顔を上げると、パジャマ姿の遥と目が合った。遥はすぐに目をそらすと、剛の脇を通り抜け、冷蔵庫から麦茶を出し、コップに注いだ。
 剛は口に運びかけたスプーンを皿に戻すと、ずるずる長引かせない方がいい、と心の中で唱えた。
 剛はテレビを消し、遥に声をかけた。
「遥、ちょっと話がある」
 遥は小さく頷いた。テーブル越しに向かい合ったものの、遥は目を伏せ、剛と目が合うことはない。
「母さんから聞いたんだけどな、例の、アイドルのこと」
 遥は身動き一つしない。剛は、話を続けた。
「あー、アイドルってな、なるも難しいし、なったって安泰だっていう保証なんてないんだぞ」
 遥が尖った声で、すぐに言い返した。
「それは、どんな職業だってそうじゃん」
「そんなことはない」と剛は否定したが、言葉が続かない。剛は、一回うーんと息を吐いてから、なんとか遥を説得しようとした。
「とにかく、アイドルなんて、夢みたいなこと言ってないで、ほら、遥も、もう中学生なんだから」
 遥は、顔を上げて剛を睨んだ。
 

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