小説

『赫い母』つむぎ美帆(『子育て幽霊』)

 はっきり言ってしまえば、彼女は同級生から「いじめ」を受けていた。
 しょっちゅう机の中が荒らされ、教科書やノートに酷い言葉が落書きされていた。
 クラスの女子が時々遠巻きに「人殺しの子はさぁ」などと聞こえよがしの声量で口にしては、何が面白いのか後は小声で何か喋って大笑いしている。無論、郁美は反応しなかった。しようもなかったのだろうが、そんな時の彼女の目は固く前だけを向いていた。
 いじめの中心は女子だったが、時々面白半分の男子も一緒になっていたようだ。時々彼女は授業に酷く遅れてくることもあったし、上靴なしで教室に入ってくることもあった。そんな時彼女を見て声なく笑っている連中の中には男子生徒もいた。
 郁美は、悪意を浴びた自分の惨状も目に入っていないかのような顔で、淡々と教室で授業を受けていた。
 私は、同じクラスになる前の彼女にぼんやり抱いていた「大人しい子」というイメージが少しずつ変わっていくのを感じていた。それは、あの目に宿った、錐の切っ先のような危うく鋭い力のせいだったろう。
 同時に、クラスメイト達の陰湿な行為にうんざりもしていた。特に、遠くから聞こえよがしの悪口を言ったり、落書きだらけの教科書を広げる郁美を見て下品に大声を上げて笑っている女子たちに。私は義憤に駆られるというほど、博愛と正義の心を持っていたわけではない。ただ目にするたびげんなりした。何が面白いのか分からないが、品のない笑いや言葉は、標的を傷つけるだけではなく周りの空気を濁し、硬化させている。そんなことも目に見えないのだろうかと、同級の女子たちを軽蔑する気持ちが湧いたのだった。――何もしない自分のことは棚に上げて、偉そうにも。
私は勇気ある人格者などではない。声高に「いじめはやめろ」と諸手を上げて彼女の前に立って庇ってやるようなことは出来っこなかった。彼女が殺人の罪を犯した女性の娘であるという事を、彼女に対して何をしてもいいという免罪符だと考えている同級生の前で、そんな風に声を上げるほどの気概はなかった。いじめ行為に対し呆れ、愛想を尽かす……つまり、自己完結した行為を取るだけ。事態を何かしら変えられるわけではない。
それに……言い訳と取られるかもしれないが、そんな風に第三者が自分のために大きな声を上げ行動を起こすことは、郁美自身が望んでいないような気もした。波風を立て衆目を集めるくらいなら忍ぶ方がマシだと考えている、と思わせる雰囲気が彼女にはあった。
 

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