小説

『赫い母』つむぎ美帆(『子育て幽霊』)

「あんたたちって、可哀想」
 斬るように言い放ったその予想外の言葉は、またしても里衣子の、そして私の思考を停止させた。
「模試でいい成績取らないと、親に怒られるんだ。それが怖くて、他人の成績にいちゃもんつけてるんでしょ」
 郁美は朗らかに、そして残酷に言い放った。その顔は虐げられた弱者のものではなかった。
「あたしは全然勉強なんかできなかったよ。でも母さんは、あたしがあの男に襲われそうになった時、体張ってあの男を殺してくれた。
 テストで赤点取る娘を守るために、母さんは罪まで犯してくれたんだ。愛してくれてるんだ。
 あんたたちは可哀想。点数と引き換えでなきゃ、抱きしめてももらえないんだ。ほんと、可哀想だね!」
 呆気に取られ、その言葉を耳で飲み込んでしまった私たちの前で、郁美は再び、気違いじみた明るさで笑い出した。
 私は言葉も出なかった。
 一瞬おいて、里衣子が何か言葉にならない叫びを上げながら、郁美に掴みかかろうとした。私はそれを腕を掴んで必死で引きとめていた。他の女子は皆、気圧されたように立ちつくしていた。
 スピーカーから流れだした下校の音楽をかき消すように、郁美の哄笑のはしばらくやまなかった。

 その後は、取り立てて言うほどのことはない。郁美は結局、K女には進まなかった。受験して受かったらしいとは聞いたが、実際には地元を離れ遠くの高校に進んだ。里衣子もK女には行かなかった。落ちたのか受けなかったのか、それは知らない。私自身は何とか志望校に進むことができ、進学後はこの二人のどちらとも連絡を取ることはなかった。
 時々、飴を舐めると、郁美のそれを歯で噛み潰す固い音を思い出すことはあった。
 郁美の母は、裁判で情状酌量されて執行猶予が付いたと、新聞に小さく記事が出ていた。彼女は地元には戻らなかった。郁美と一緒に暮らしているのか、やはり知らない。
 私は母に、自分のために罪を犯すことができるかと訊きはしなかった。どんな言葉が返ってきても恐ろしい気がした。

 追憶に耽っている私の背後、ギャラリーの入口の方で、何やら客のどよめきと拍手の音がさざ波のように聞こえてきた。
彼女がやってきたらしい。私は胸をざわつかせ、ゆっくりそちらを振り返った。

 

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