小説

『プラネタリウムの空』中野由貴(『シンデレラ』)

 私が好きだった白いドーム。それはまるで卵の殻だった。この殻の内側から毎日たくさんの人が生まれ出て、東京という場所に戦い出ていくように思っていた。ほんとうは誰も戦うつもりなんてないのかもしれなかったけれど。でもこの街の大きさと人の多さに飲み込まれない様にするには、たくさんの緊張感とちょっぴりの見栄が必要だ。それだけはみんなちゃんと持っていた。
「そろそろ街並みが変わりますから、早くいってください」
 駅員にせかされ、私は街に出た。

 東京駅を出ると、そびえたつビル群が次々に消えて、私が知っている、あのビルヂングと呼ばれていたビルが出現する。
「さあ、はじまりますよ。過去のビジョンを眺める会が」
 ポケットの中に入っているチラシからアナウンスが流れ始めた。
「目の前の風景をご覧くださいませ。かつての東京・丸の内界隈でございます」

 先週の月曜日の朝、「古きよき東京」と入力しておいた検索モードが、この会のことをはじき出した。
「そう、こんな企画を待っていたの」
と、私はすぐさま申し込んだ。すると、この時代にしては大変珍しい、紙を使用した案内チラシが送られてきた。これが参加要項なのだという。
 技術がたやすく過去を作り出すようになったのはいつからだったっけ。私も含めて、人は何を求めてわざわざ過去を懐かしがるのだろう。
 少なくとも私は、消えてしまったはずの憧れの匂いを嗅ぎたくなったのだった。東京が特別だったころを振り返りたくなったのだ。
「それに、ちょっと疲れちゃったんだ。情けないけど」
 空が見えた。見上げると晴れ。地球を取り巻くオゾン層は水玉模様になって世界のいたるところ紫外線量の増加が問題になっている。東京もそれは同じ。十秒以上空を見つめてはならない、日光に一分以上あたってはいけないと日常生活の約束事は増えるばかりだ。屋外では深呼吸も禁止だ。
 

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