小説

『私の欲しいもの』小嶋優美子(『竹取物語』)

 取引先に着き、さっそく名刺交換をした。すると、高そうなスーツに身をつつんだ男は、女の上司と私の名刺を見て、
「三國商事さんですね。そういえば先日、あなた方の社員には参ってしまいましたよ」
 と言った。参ったと言いながら、その目はやさしく笑っていた。
「と、言いますと?」
 女の上司は、男の言葉を促す。
「鈴木という男がいましてね、それはもうしつこく、スミスのライヴチケットをどうにかしてもらえないかと言ってきまして」
 心臓が、大きく波打った。姫乃は罰がわるそうに下を向く。
「昔、鈴木には何かと世話になりましたから。放送作家をしているせがれに無理を言って、頼みを聞いてやりました」
「それはそれは……。うちの社員が、ご迷惑をおかけいたしました」
 女の上司は、深々と頭を下げた。そして、あ然としている姫乃の腰を小さく叩き、姫乃もあわてて頭を下げた。
「いいんですよ。あいつも、今まで色々、苦労しましたからね…。私からの褒美です」
 男は、〝色々〟のところを強調して言った。姫乃は、そのことが引っかかってしまい、
「色々とは、どのような苦労でしょうか」
 と聞いた。すると男は、「それは彼の私的なことなので…」と、口を濁す。
「お願いします。お聞かせ下さい」
 姫乃は強い口調で言い、男の目をまっすぐに見つめた。聞きたい、いや、聞かなければならない。そんな気がしてならなかったのだ。

 会社に戻ると、鈴木はいなかった。課長に尋ねると、「鈴木は、午後は大事な用事があると言って、早退したよ」と返された。そして続けて、
「鈴木はもうすぐ会社を辞めるから、その準備なんじゃないかな。あいつは目立たないけど、いつも誠実に仕事をこなしてくれたから残念だよ」
 と、少しさみしそうに言った。
「え……」
 

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