小説

『シャボン玉』伊藤円(童謡『シャボン玉』)

 窓から吹き込む風が辛くないか心配だったが、祖母は僕が渡した筒に液体を浸すのに夢中だった。ちょん、ちょん、その仕草は期待できた。まるで昔と同じように錯覚された。しかし、その筒を口に運ぼうとすると、ぼた、ぼた、シャボン液が膝に零れてしまった。祖母は少し恥ずかしそうに笑って、それから大仰に、肩を持ち上げる程に息を吸い込んで、遅れて筒を口に挟んで、視線をずっと遠くに向けて、
 ぶくっ、
と、しかし、玉は膨れず飛沫と弾けてしまった。
 ぱち、ぱち、吹く度、吹く度、泡を壊して、ぽた、ぽた、飛沫が木の窓枠に沢山の染みを作った。やがて、すーっ、と力ない呼気だけが筒を通過するようになると、
「ダメ、ねぇ」
 と祖母は、乾いた笑みを浮かべた。それに僕は、猛烈に寂しくなった。
「……ああ、コツ、忘れちゃったんかい?」
 しかし、僕は言った。なるべく明るく言って、自分の筒を容器に浸した。ちょん、ちょん、祖母に教えるようにゆっくり、そして、ふうーっ、と大袈裟に息を吐いてみせた。筒からは沢山の玉が湧き上がった。窓の外へ、家の中へ、ころ、ころ、びいどろみたいな小粒の玉が気ままに回遊していった。祖母は隣で、その玉の数々を眺めて、
「上手になったねぇ」
 ぽつり、呟いた。
「や、や、昔のばあちゃんの方がずっと上手だったよ」
 反射的に言った言葉に祖母は反応もせず、自分の筒を容器に差し込んだ。ちょん、ちょん、さっきより慎重にシャボン液を浸して、しかし唇に運ぶとぼたぼた零れ落ちた。一回、二回と息を吸い込んで、しかし線香花火のように筒の先端をぱちぱち弾けた。祖母はもう一度筒を浸した。結果は同じだった。それでも祖母は諦めなかった。もう一度、もう一度、半ばムキになっているかのようだった。飛べ、飛べ、何度も祈った。しかし、シャボン玉は、たったの一つも膨れてくれないのだった。
「失礼しちゃうわねぇ!」
 祖母は、言った。でも今度、その口癖は僕を喜ばせなかった。
 

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