小説

『日向の蛙』枕千草(『カエルの王さま』)

「あんた昔カエル好きやったよね」
 急にまっすぐに見つめられて、私は何故か焦った気分になった。ああ、うん、となんとか平静を装って答える。私の影の先でじっと座っているその姿は、よく見ると気持ち悪かった。
「カエル、まだおるんやね。郁人が見たいって言いよったけん、見せてあげたかったな」
「それなら、また来ればいいやんね」
「そうやね」
「ねえ…あんた、和樹に会った?」
 その声に身体が反射的に震えるのがわかった。同時に、私は自分の予想が当たっていたことを察した。
 母が私をバス停まで見送るのは、決まってなにか話したいことがある時なのだ。
 小学校の遠足や運動会の日。親友が転校してしまった日。高校入試の日。和樹が家を出ていった次の日。卒業式。上京した日。
 一時間に一本しか来ないバスの時刻表を私が持たないのをいいことに、母は私を連れて随分と前に家を出る。予想していたはずだったのに、無意識に身構えてしまっていたようだった。
「会ったよ。最初全然わからんやったけど」
「そうやろうね」
「すごい偶然で、駅前でたまたますれ違ったんよ」
「そうね」
「八年ぶりやん、わからんはずよね」
「そうやね…」
 そう言うと、母はじっと押し黙った。
 バスはまだ来なかった。本数が少ない上にここのバスはよく遅れるのだ。それどころか他の車も自転車さえもほとんど通らない。こんなにも広がった空の下には、私と母と一匹のカエルだけだ。
「あのこから聞いた?」
 しばらくの間があいたところで、母がもう一度口を開いた。
「そっちこそ、知ってたん?」
 聞き返したいのをどうにかこらえて、私は静かにそれに答えた。
「聞いたよ。もしかして、あいつも家に帰ってきた?」
「うん。なんかいろいろ手続きがあるけんって。話には聞いとったんやけどね」
「そっか」
 私は数日前に見た金髪のお姉さんを思い浮かべていた。家を飛び出したくせに母には連絡をしていたらしいきれいなお姉さん。私からの視線を避けるように気まずそうに目をそらしていたその顔は、ふいに照れたような笑顔に変わった。はにかむように笑うと片方だけにえくぼが出来る。似てない兄弟だった私たちは、笑った顔だけは似ているとよく言われた。
 

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