小説

『彼女との距離』野口武士(『竹取物語』)

 僕らはみんなソワソワしながら教室の扉を注視していた。担任の先生はベルがなったらすぐに来る。僕はそれが嫌いだったが、今日ばかりは、早く来い、早く来い、と念じていた。
 廊下からキュッ、キュッ、と先生のサンダルが床を踏みしめる音が聞こえてきた。まるでロケット打ち上げのカウントダウンのようだ。クラス中の全員が固唾を飲んだ音が聞こえたような気がした。
 勢いよく教室の引き戸が開いて、いつものダサい緑色のジャージを着た先生がのっそり入ってくる。無精ひげもいつものままだ。それを見た時、僕は先生に軽く怒りを覚えた。転校生が来るんだから、ひげくらい剃ってこいよ。こんな大舞台にジャージに無精ひげって、大人失格だろ。
 そして先生の後ろに小さい人影が見える。今日の主役、転校生だ!みんなの緊張と期待が頂点に達し、全員が前のめりになって我先にと、主演の姿を見ようとした。おひねりでも投げそうな勢いだ。
 「さあ」
 先生に促されて、入り口に立ち止まっていた転校生が入ってくる。
だが、その姿を見た瞬間、ある種の失望というか、期待が裏切られ、緊張の糸がブツンと大きな音をたてて切れたのが、これまた聞こえた気がした。
 僕らはアメリカから来た転校生を、勝手に外国人だと思っていた。恥を忍んで告白すれば、僕はブロンドのお人形さんみたいな、青い目をした女の子を想像していたのだ(ただ、僕の名誉のためにもう一言言わせてもらうと、クラス中の男子が同じように考えていた)。
 入ってきたのは、黒髪を腰まで伸ばして、真新しい真っ赤なランドセルを背負った日本人の女の子だった。
 先生と教壇に立ち、恥ずかしそうに自己紹介を始める彼女を見て、教室は段々と平静を取り戻しつつあった。彼女の言葉は標準語で、英語訛りらしいものはひとつもない。普通の、完璧な日本語だ。楽しみにしていた舞台は、あっという間に終演をむかえようとしていた。カーテンコール前に席を立ってしまうヤツがいても全然おかしくないくらいに。
 そして僕はというと、日本語を話す彼女を見ながら、つまらない事を考えていた。
 

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