小説

『彼女のcoffee time』山下みゆき(『浦島太郎』)

 ちょうどその時刻に、図書館司書の春野が、この7年の間に生んだ自分の子どもを二人乗せて、車で店に向かう坂道を上っていた。風が強く、木の葉がたくさん舞っていた。
「お母さん、お店、あれでしょう、見えてきたよ」
「ホットケーキも、ある?」
 二人の子供は、後部座席のすきまから顔を覗かせて、うれしそうに店を眺めている。
「ホットケーキも焼いてもらえるし、甘いミルクも作ってもらえるよ。あと、カッコいい音楽も聴ける。音がいいのよ。でも、お行儀よくしてなきゃ駄目よ」
 春野がそう話した直後だった。目の前に、確かに見えていたはずの店が、ふっと消えた。まるで蝋燭の火が風に吹き消されるように。
「ええっ?」
 春野は車を降り、恐るおそる店があったはずの場所に立った。
「どうなってるの?」
 風がひゅうひゅうと音を立てて吹き、灰色の海が、大きくうねって見えた。

 

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