小説

『桃を買ったクレーマー』すかし・ぺー夫(『桃太郎』)

 「では、そちらの落ち度ではないと?」
出来るだけ低く抑揚のない声で言う。口角を上げて怒りを潜らせる。
幾度ものクレーム電話をかけてきた熟練の技だ。
 「ええ、うちらとれたての果実をひとつひとつ人の手で個包装しよるでぇ
その時によく見ょーるで、じぇけぇそんなことは…」
 人の良さそうな岡山弁にくじけそうになる。
 「それが御社の正式な回答ということでよろしいですね?」
 「おんしゃ?…あのぅ…うちら家族親族数人で力貸し合ってこさえてますでぇ、うちの桃に、人間めいたもんが混ざるなんて、ひょんなげなこたぁないです」
 どうも有り難うございました、と丁重にお礼を言って電話を切った。
諦めたわけではない。埒があかないときは深追いせず、追求する相手を変えるのが得策だ。

 5月で46歳になる。独り身である。31歳の時に、7年間つきあっていた同い年の彼と別れた。こたえた。またいちから、これだけの関係を築くのは不可能だと思った。30過ぎたからそろそろ「結婚」という、このままふつうに辿り着くと思っていたゴールが、突然彼方に行ってしまったのだ。こたえた。しばらくして、彼が結婚したと聞いた。相手はわたしの親友だった。人が信じられなくなった。あれから15年。わたしは、心の底から誰かを信じることをやめてしまった。職場では明るい方だ。おしゃれにも気をつけている。誰とでも気さくにしゃべるし、飲み会も誘われれば1次会は行く。後輩の恋の話や仕事の悩みにも真剣に耳を傾ける。だけど、誰のことも信用はしていない。信じていないことがばれないよう注意深く、信じていない。信じれば、また裏切られるだけだから。
 

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