小説

『幻影団地』実川栄一郎(『むじな』『のっぺらぼう』)

「それは、たとえば、その部屋の修理のために業者が入っていたということではないのですか?」
 私がそう言うと、自治会長は、少しむっとした表情になった。
「いいえ、そんなことはありません。幽霊が出るのは、いつも夜10時過ぎの遅い時間帯です。そんな時刻に部屋の修理をすることなんて絶対にありません。それに、もしそんなことがあれば、まえもって私の方に連絡があるはずです」
 何はともあれ、じっさいに幽霊らしきものを目撃した住人に話を聞くことにした。
「ちょうど、そこの広場に皆さんが集まってくれていますよ」
 自治会長はそう言って、団地内にある広場に私を連れていった。その広場は、中央に芝が植えられ、周囲は桜の並木になっていて、並木道に沿って休憩用のベンチが置かれている。そのベンチに3人の住人が座って、私たちを待っていた。
 冬のさなかとはいえ、その日はとてもいい天気で、私たちが行くと、ベンチの3人は、午後の日射しを正面から浴びて、日向ぼっこをしながら世間話をしているところだった。女性2人に男性1人、いずれも60代から70代に見えた。
「やあ、お待たせしました」
 自治会長は、私を3人に紹介すると、「さあ、皆さん、この記者さんにお話してあげて下さい」と、促した。
 まず、隣室の奇妙な声を聞いたという女性が話しはじめた。
「私は3号棟の201号室に住んでいるんですけど、夜寝ているときに、人の話し声で目が覚めたんです。うちは角部屋なので、接しているのは202号室だけなんですけど、その202号室は、もう3年以上も空き室になっているから、人の声がするはずないんです。なのに、壁に耳を当ててみると、たしかに聞こえるんです……」
「それ、どんな話し声でした?」
「そうねえ、何を話しているかは判らなかったけど、何だかとても楽しそうな声だったわね」
「楽しそうな声?」
「ええ、まるで家族でわいわい騒いでいるような声だったわ」
「ということは、大人の声だけでなく、子どもの声も聞こえたんですか?」
「ええ、そうなのよ。まだ小学生くらいの子どもの声だったわ。だから余計にうす気味わるくて……」
 そこへ男性の住人が口をはさんだ。
 

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