小説

『輪廻』沢田萌(『源氏物語』)

 あの時の母のくぐもった声と血の気を失った顔……。母はすべてお見通しだった。
 女の勘は鋭い。しかし、母は素知らぬふりをして家族の暮らしを守った。田村も気がついていたに違いない。私は巨大な岩を吞み込んだみたいに心が重かった。それは母も田村も同じだったと思う。
 私たちは秘密を抱えて生きることになった。
 私は楓を自分の娘として育てたかったが、楓の将来を考えると母と田村の子どもとして育つほうが良いと思った。楓は母と田村の養子になった。楓は私の妹になった。
 奇妙な生活が始まった。
 複雑な血のつながり。両親と姉と妹、ごく普通の四人家族を演じていたが、家の中は微妙な空気が流れていた。私はそんな生活に耐えられなくなって家を出た。父の遺産でマンションを買って一人暮らしを始めたのだった。母も田村も内心はホッとしていたに違いない。私が家を出ることに反対しなかった。私は高校を中退して銀座のホステスになった。昔、母が勤めていたクラブのママに拾ってもらったのだ。田村や母の世話になりたくなった。自分の力で生きていきたかった。

  
 
 楓は小学校に入ると私のマンションに遊びに来るようになった。私は母であることを言えない苦しさを抱えながら楓を影で見守った。
 誰も好きにならない、と、私はそう心に決めていたが三十歳の時、母と同じように店の客を好きになってしまった。矢島は私より五つ年下の青年実業家で、田村の若い頃にどことなく似ていた。
 十五歳になった楓は、「プチ家出」と言っては私のマンションに来ることが多くなった。反抗期の楓に口では「帰りなさい」と言っても内心嬉しかった。
 「お姉ちゃん、合鍵が欲しい」と言う楓に私は合鍵を作ってやった。
 そんなある日のことだった。
 常連の客からゴルフに誘われ、店の前でその客を待っていた。ところが客に緊急の仕事が入ってゴルフは中止になった。このまま家に帰ろうと思ったが、この日は店が定休日だったので、せっかく街に出てきたから買い物とエステに行くことにした。帰りに銀座のデパートでフルーツを買って、家に帰る頃にはすっかり日が暮れてしまった。
 

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