小説

『琵琶のゆくえ』森江蘭(『耳なし芳一』)

 何故分かったかと。声が、違うのでございますよ。
 目が見えぬ分、拙僧のような者は耳が、目の代わりとなるのです。人の心は、その思うさまは、いかに隠そうとしても声の調子に出てしまうのです。
 拙僧の平曲を聞き終えた和尚様の声が、まさにそうでした。
 この語りには満足していない。和尚様の声の調子からはそれが十分伝わってきたのでございますよ。本当に満足して頂いた方のお声の調子とは、違うものなのです。えぇ、良くわかるのですよ。
 あぁ、拙僧の語りではやはりこの和尚様を満足させることはできなかったか、と、和尚様のもとに召されるたびに、なんともやりきれない思いになったものでございます。
 そのようなことが何度か続いたときでありました、あの方々に呼ばれるようになったのは。あの方々の言われるがまま、平曲語りを差し上げたのでございますが、拙僧に賜ったお言葉は、本物でございました。
 特に、壇ノ浦のくだりのときの方々の有り様ときたら。拙僧はうれしゅうてうれしゅうて、ますます琵琶をたたく手に熱がこもっていったのを、忘れることはできませぬ。拙僧も、初めてでございました。語りの熱があれほどに昂り、語りを聞いて下さる方々の想いと混じり合っていくのを感じたのは。
 まことに心地よう、ございました。
 語りの自信と、方々に認められた嬉しさと、その喜びを分かち合っている。確かにそのような気がしたのでございます。
 拙僧のつたない語りの何があの方々に響いたのか、それは拙僧にはわかりませぬ。ただ、何度か方々に召されるうち、拙僧の語りの腕が、上手になったように思われました。今にして思えば、それこそ、魔に魅入られたのかもしれませんなぁ。そのようなことは、ただの幻想にすぎませんのに。
 七日七晩、平曲を所望されました。ありがたいことにございます。それほどまでに、拙僧の語りを喜んでいただいたのは、後にも先にも、あれが最後にございました。
 ご存知ですか、もともと、平曲は単に耳を愉しませるものではないということを。
 あれは、鎮魂の語りなのでございます。
 

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