小説

『死にたがりの人魚姫』東村佳人(『人魚姫』)

 よく人間は、死んだ人を海に流した。入れ物はいつも木の箱だけど、その模様や装飾は違っていた。ゴツゴツした不格好なものだったり、箱の角も取られて滑らかな芸術品だったり。

 いつしか私は抑えられなくなっていた。何をしていても――家にいても、姉さん達と話していても、地上のことが気になった。死人を流す謎の儀式も、いつもいる私が助けた男の人も。どうしようもなく地上に出たくて、どうしようもなく間近で死を見たくて。
 姉さん達がぐっすりと眠っている間に、私は前にオーリ姉さんとアリア姉さんが話していた北の海の魔女のところまで泳いだ。魔女は、魔女が欲しがるものを一つあげれば何でも願い事を叶えてくれる――そういう伝説は確かにあった。
 でも今まで魔女に会ったって人魚の話は聞いたことがないし、それにもし魔女に会えても、私が何をあげられるのか判らなかった。だから海藻のポーチに私が持っている真珠や宝石を目一杯詰め込んだ。きっとこの中だったら一つくらい気に入ってもらえるはず、そう信じた。
 魔女の住む穴は、暗い暗い海底の裂け目の、更にその奥にあった。月の光も全く届かないような深い穴。群れになったホヤの、小さな存在を証明する明かりだけを頼りに、私はおっかなびっくりその中へ静かに泳いでいった。
 魔女の家は私が思っていたよりも広く、イカやタコ、他のプランクトン達が照らしていた。穴の最奥部、一際巨大な岩に腰掛けて、魔女はそこにいた。青い肌に二本のヒレ――私達人魚は、肌は白いしヒレも一つしかない。魔女は、最初から私が来るのを知っていたみたいに、よく来たね、と声をかけてきた。私は魔女に言った。海の上に行きたい、地上を歩いて、暮らしてみたい、って。彼女は何度も頷いて、頷いて、洞穴を更に掘って作った棚から一つの小さな小瓶を手に取った。
 誰かに恋したんだね、いいんだ、皆まで言うな、判るよ。と私の話を聞こうとしないで、片手で小瓶を弄んだ。中のアメフラシみたいな色をした液体がどろりと揺れる。私は誰にも恋なんてしていないし、そもそも恋がどんなものかも知らない。本には何度も書いてあったけれど、実際に体験したこともないから、胸の奥がちりちりと焼ける気持ち、そんなもの想像もできない。私は恋なんてしていない。私が知りたいのは、恋をした人の気持ちじゃなくて、本で読む悲恋の物語のその先なんだって、そう声高に言ってやりたかった。
 これをあげる代わりに、条件があるよ、と私に向けて小瓶を傾けながら魔女は妖しく微笑んだ。でもその条件を、私は覚えていない。その薬を貰う代わりに声を差し出したけれど、そこからは何も覚えていない。
 

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