小説

『リネン』三日月響(『蒲団』田山花袋)

(電話の相手は奥さんか?整髪料を変えろという指摘を受けたの?待て、待て・・それは私にとっても親しみ深い匂いだよ、恍惚へと導く装置のひとつだ。何てことしてくれるわけ?奥さん!)
「もしもし、僕だけど。今いい?うん」
(別の女と電話してるの?紳士的な対応、「僕」という一人称、まだつきあいが浅い感じ。)「そう・・。終わったら連絡くれる?僕はもうホテルだからね。」「今日は、飯だけかな。着替え持ってくるんだったな・・。」
(一人ごと?)
(衣擦れの音に、クローゼットのハンガーの音だな。脱いだものをかけたわけね。几帳面。バスルームの扉が開いた。女に会う前のシャワーか・・こういうところが昭和男らしいオス感。)私は別のレコーダーを再生した。
 テレビの音に、たまに聞こえる笑い声に、放屁らしき音。百年の恋も冷めるものかと思いきや私もそう、おぼこくはない。
 ドアノックの音がしている。
「どうしたの??連絡、待ってたよ。」「ごめんなさい。近くだったから、ちょっとサプライズ・・」女の声が参入してきた。
(直接、客室に来るんじゃないよ!lこのマナー知らずな女め!おいおい・・今更私がマナーについていいますか?)のりつっこみする自分に鼻じらんだ。
 映像のない音だけのキスシーンは案外、そそられない。その後はお決まりのパターンでベッドまで移動する空気と下品な女の喘ぎ声に重なる途切れ途切れのアルジーの声がしばらく続いたが、インスパイアーされるどころか嫌悪感を覚えるほどだった。
 レコーダーを仕掛けておいてなんだけど、盗聴してオーガズムを感じる体じゃないらしいことにほっとした。この年で自覚のない奇妙な性癖が顏を覗かせたのでは、手に余る。いいや、実は他人のSEXで性衝動など、すでに起きない体になったのか・・。
 私は音声の中のアルジーの咳払いや溜息、衣擦れの音が楽しかった。シャツをうまくハンガーに掛けられず苦戦している様子に笑みがこぼれるし、シャワーの後の髪の毛を荒々しく拭くタオルの音。それらを聞きながら眠りにつきたいと思ったが、女臭が勝っているこのリネンは、パブリック女子トイレを思い出させ、部屋を出た。
 私は、翌週にもアルジーの予約名をみつけ、前日セットした。(今日はあの女くるかな・・)私は姿なきアルジーの身(財布)を案じた。実は先週の録音には続きがあった。
 コトの後シャワーに逃れた女はご丁寧にバスルームの〝仕掛け〟の下で電話をしていた。「今打ち合わせ中だから。え?もう少ししたら行くね。あとで連絡するから。」電話の相手は当然、男だ。
 

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