小説

『リネン』三日月響(『蒲団』田山花袋)

 それから、私は必ず男性で、一定の年齢以上のシングルユースのチェックアウトの部屋を確保するようになった。シングルユースのお客様はホテル利用に慣れている人か金銭的に余裕のある場合が多く、そんな部屋は大概、必要以上に散らかってはいないものだ。(例外はあるけど・・。)そして、一様にずっと枯れない、おちついたオトコ臭がする。
 ほとんどの女性スタッフは、女性が利用した部屋を確保するから私は、分別ある大人の振る舞いで彼女らに部屋を譲り、いわゆるおっさんの部屋を仕方ない素振りで獲得する。
「チーフ、おっさん部屋、加齢臭大丈夫ですか?臭わないですか?」
 若いスタッフが顏を覗きこむ。さすがに〝それがいいのよ〟っとは口が裂けても言えない。そんなことを言おうものならすぐさま、女にも加齢臭があるからチーフはもう気が付かなくなってる、とでも言われかねない。
 私は、「決まってソファーで軽く横になるだけだから。」とまともに答えることはせず、悟られないようやり過ごすことにしていた。
 私はあれ以来、シングルユースでの仮眠を続けながら、あのときのリネンの臭いを探してチェックアウト後の部屋を物色するのが一興となっていた。指折り時間を費やす仕事に、別のリズムが加わった。
もう二度と、目当ての客が訪れることなどないかもしれない。ホテルとは常客もいる反面、生涯一夜限りの客も多く存在する。
 時には、部屋に入った瞬間、胸を衝くような悪臭の部屋に見舞われたことも、リネンがなぜか相当汚れているという場合もないわけではないから、そもそも中くらいの潔癖性の私にとっては、他人の残香漂う部屋に入ることは苦行でしかない。それでもあの朝の恍惚感を忘れることのできない私は、姿なき何者かの臭いを探す不毛の時間を過ごした。
 今日だけはがんばろう、もう今日でやめにしようと思った夜は数えきれない・・・どこかで聞いたことがあるような努力の日々も水を得た魚状態だ。
 私は自分がチェックインしたお客を除外した。最初に視覚から入った情報は嗅覚が直観的にイメージするものを阻害する気がしたからだ。その中に目的の客がいるかもしれないという不安はあったが、視覚情報は邪魔だった。
 1か月ほどたったある朝、ようやく待ちわびたリネンに再会した。
 いつものようにシングルユースの早朝チェックアウトの部屋に入った瞬間、すぐにわかった。あの日と同じ空間がそこにはあった。時代遅れの強めの整髪料の匂いと一夜の滞在を感じさせないような整然さは同じだ。私は、身に纏うすべて脱いで掛蒲団の中に潜った。うつ伏せになって子犬がそうするように、リネンの上には鼻を滑らせた。
 丁度背中にあたる部分を探りあて、寄り添うように裸の自分を押し付け、恍惚のまま眠りに落ちた。
 

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