小説

『リネン』三日月響(『蒲団』田山花袋)

 近くに最寄り駅があるにも関わらず私はこの駅を利用して10分以上歩き、通勤先のホテルに向かう。すたすたと歩くのが好きなわけじゃないけれど、都会には〝人の波〟が確実に存在していて、一方向に流れる波のリズムに背くのは相当なエネルギーが必要だし、飲みこまれないでいるためには逆らわず、ひたすら波のリズムに乗るのが賢明だ。その波の中は私の居場所を再確認できる場所でもある。〝人並み〟のスピードで同じ方へ向かっている。
(もう少しゆっくり歩けないのか・・)上京したての頃、不思議に思ったことなど遠い記憶だ。今やリズムを崩して歩く若造を腹立ちまぎれに振り返って見遣ることさえある。
 入社以来数度、グループホテルへの出向があったものの30を過ぎて以来10余年、この都会波の中を歩いてきた。40を過ぎ、仕事は充実しているし、一人の生活に何の不自由もないくらいの経済的基礎はできた、はずだ。
 しかし、果たしてこの姿は自分が抱いていた〝大人〟の姿なのかと考えないことはない。とはいえ、40代になった自分の姿など10代や20代で想像する範囲など高々知れている。 
ただ、今ここにいる惰性という波の中の「私」ではなかったような気がしている。
 ホテルマンになりたかったわけじゃない。私の夢はスチュワーデスだった。今はCAというらしい。もっとも憧れるほど、CAとの面識などない子だった。
 その頃同居していた祖母は、当時今ほど人気も認知度もなかった沖縄にあった我が家の別荘に、冬の訪れと共に数か月間滞在した。折り合いの悪かった母は、一年のうち一度だけ訪れるこの至幸の時期をあからさまに心待ちにしていた。祖母は物心ついた私に呪文のように「あなたはスチュワーデスさんになってね。そしていつだって行きたいときにおばあちゃんに飛行機のチケットをとってちょうだいね。」と囁いたものだ。その様子を横目でみながら母は「どういうの?!孫にまでタカッてるわ・・」と鼻を鳴らして蔑んだ。
 私はおばあちゃん子でもなかったし、母が取り立てて好きなわけでもなかったから、どちらの希望を叶える気も、喜ばせるつもりもなかった。なんとなく飛行機という存在に憧れていただけで、将来の夢はそういうことにしておこうと考えたのだと思う。その程度の動機ではいつまでも夢をキープさせるには不十分だったし、折しもバブル崩壊後の就活氷河期にぶつかった私は航空会社を受験する機会さえなかった。
 ホテル業界は最初に受け、偶然受かった業種だった。
 

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