小説

『ユニフォーム』山本康仁(『笠地蔵』)

「ボール!」
 球審が叫んで、バッターが一塁へ歩いていく。
「よっちゃん、ドンマイ!」
 赤いユニフォームが口々に大きな声を出す。
 次の一球に集中しているのか、よっちゃんは一塁ランナーの大きなリードに気づかない。わたしはふと、よっちゃんのことが気になった。
「よっちゃんの分はいらないんだもん」
 そう言っていたあの子たちの会話が今になって引っ掛かる。
「よっちゃん、お金払ってないんだよ」
「みんなのお茶ばっかり飲んでるし」
「給食費も払ってないんだって」

「ストラーイク!」
 ランナーがゆっくりと二塁への盗塁を決める。やっと取ったストライクにも、よっちゃんはにこりとも笑わない。ランナーがまた、二塁から大きくリードする。
 本当によっちゃんの分はいらなかったのだろうか。よっちゃんだって、みんなと同じユニフォームが着たいはずだ。いや、それとも女の子と同じユニフォームは着たくなかったのだろうか。そもそもどうしてよっちゃんはMOMOTAにいるのだろうか。男の子なのに、なぜ水谷じゃないのだろうか。
 赤でも青でもないよっちゃんが黙々と投球を続けていく。
 わたしの自転車を避けながら、みんなは土手の上を過ぎていく。犬の散歩をする人がいる。ベビーカーを押していく人。イヤホンで耳を塞ぎ、ただ無心にジョギングする人たち。スマホを見つめ、画面の向こう側とおしゃべりする若者。グラウンドに広がる光景は、何一つ不自然なことのない当たり前の日常のように、数多の人が通り過ぎる。

 カーン!
 気持ちのいい音が響いてグラウンドへ目を戻すと、紺のヘルメットを被った子が走っている。MOMOTAの子たちは匂いを消されたアリのように、みんながあっちこっちへ散らばって、ボールに振り回されているようだった。二塁の子はとっくにホームに戻り、打ったランナーも見る間に三塁を蹴っていく。迷うことなくホームを目指すようだった。
 わっという歓声と同時に、笑い声がどっと湧き起こった。
 

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