小説

『ふつうの国のアリス』汐見舜一(『不思議の国のアリス』)

「でも、じっさい君はこうして不思議の国に迷いこんでいるじゃないか!」
 ん? まぁ、言われてみればそうかもしれません。
 私は事実、不思議の国に迷いこんだのです。だから堂々とアリスを名乗ればいい――という考えかたも、ありと言えばありかもしれません……。
「もし仮に意味がなくとも、かわいい名前であることは理解できます。それでいて、抵抗なく頭にスッと入ってくる、不思議でふつうで素敵な名前です」
「ほんとう?」
「帽子屋は嘘つかないよ!」とうさぎさんが太鼓判を押します。
 不思議です。悲しいわけでもないのに、涙が出てきました。
「アリス様!? 花粉症の発作でしょうか!?」
「どうしようどうしよう! 僕、お医者さん呼んでこようか?」
 私が泣くのを見て、帽子屋さんとうさぎさんは、あたふたと教室を駆けまわります。
「違うよ、大丈夫だよ」私は涙を流しつつも笑いながら、ふたりに言います。「ありがとう。私、がんばってみるね」
 その後、うさぎさんと帽子屋さんは、私を校庭の車まで送ってくれました。
「それじゃあ、中学校でいっぱい友だち作ってね! 僕応援してるよ!」
「アリス様はきっと、新しい学校でうまくやれると思います。なぜならば、帽子のセンスがとてもいいからです!」
「時計のセンスもいい感じだよ!」
私は後部座席に乗り、ふたりに手を振りました。
 ……。
 …………。
………………。
「着いたぞー」
 目覚めると、前の座席のお父さんとお母さんが、覗きこむようにしてこちらを見ています。
「お疲れ様。ついに到着よアリス」
とてもいい気分です。寝起き特有の、「あと五分寝かせて、お願いだから時間よ止まれ」とついつい願ってしまうような気怠さはありません。
 車を出ると、深夜の透き通った肌寒さが私を包みこみます。
「あ、そうそう、お前の名前の由来、思い出したぞ」お父さんが、荷物をトランクから取り出しながら言います。
「ううん。もういいの」
 もういいのです。
 

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