小説

『人魚姫』山口みやこ(『人魚姫』)

久しぶりに家族全員で揃って水炊きを楽しんでいた。専業主婦である母の作る料理はとても美味しいが殊に水炊きは全員の大好物で、姉が久しぶりに実家で夜を過ごす為に手土産として持ってきた獺祭を飲みながら、姉の話す夫の愚痴という名目ののろけ話を聞いていた。すると姉が、
「葵ちゃんは好い人いないの?」
と茶目っ気たっぷりに聞いてきた。多分、私が週末を友達の家で過ごすといって全然家に寄りつかないことを母にでも聞いたのだろう。少し前から実行しようと思っていた計画のチャンスであると一瞬で判断し、
「居るよ。同い年の同僚で本社から来た人。」
とさり気なさを装って返した。それには両親も箸を止めて私を見た。姉は大興奮で、
「えー?どんな人?アメリカ人ってこと?」
と重ねて質問してきた。私は冷静に
「うん。」
と答えた。それ以上語らない私に、母が痺れを切らし、
「その方とは結婚を考えてるの?」
とせっかちに聞いた。内心、私はね、と答えながら、
「結婚とかは分からないけれど、私はずっと一緒に居たいと思ってる。だから彼女が次に異動する時にはついていきたいの。」
と言った。ぐつぐつというお鍋の煮える音だけがした。多分、皆俄かに理解できなかったのだろう。姉が湯気と共に湿って重くなった空気を払拭するように、
「えー?何、葵ちゃん。彼女って?恋人はいるかって聞いたんだよ?葵ちゃんが毎週お泊りしてるのって、本当にただの友達だったの?」
と明るく言い放った。母が肩に入っていた力を抜くのが感じられたが、
「ううん。私の恋人の所に泊まってるの。今お付き合いしているの、女性だから。私は彼女以外生涯を共にするとか考えられない。丁度同性婚も合法化されたし、いずれはニューヨーク本店に異動を申請して一緒に向こうに行きたいの。」
と声が震えないように気を付けて、なるべくはっきりと答えた。怯えていることを気付かれないよう必死だった。するとそれまで黙っていた父が、
「葵。お前はそれがどんなに大変か解っていないから簡単にそんなことを言うんだ。他国に暮らすこと。母国語が通じない国で一生暮らすこと。周りの人達から理解を得られないこと。駐在員として守られて暮らすのとは訳が違うんだよ。軽々しくそんなことを言うのは止めなさい。」
と聞いた事のない声で冷たく言った。私は30歳にもなって子ども扱いされたようで悔しくて、震えを押さえられずに答えた。
「簡単には言ってない。1年間ずっと考えていたもの。私はずっと何処に居ても窮屈に感じてた。自分の居場所が無いみたいに。でも彼女と居ると自分を信じられるの。もう息が苦しい、自分の居るべきじゃない場所で流されるのは嫌なの。自分の足で思うように歩いてみたいんだよ。」
 

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