小説

『人魚姫』山口みやこ(『人魚姫』)

次の年にエイミーと花見を楽しんだ後、部屋で梅酒を飲みながら、
「エイミー。貴方はこれからどうするの?日本にはいつまで居るつもり?」
と会話を切り出した。エイミーは暫く梅酒に入れた氷を指でクルクルかき混ぜていたが、
「まだ決めてない。でも、あと1年経ったら他の支社に移りたいかな?」
とこちらを見ずに言った。
「ニューヨークに戻るんじゃないの?」
私は声に詰問が混じらないよう、注意深く丁寧に発音をすることを心がけた。するとエイミーはやっと私を見て、
「どうして?」
とゆっくりと問いかけた。私はエイミーの理知的で慎重な性格を愛しているが、それと同じくらい憎たらしくも思う。
「貴女が暮らす所で、私も暮らしたいから。」
静かに部屋に流れるムーンリバーを聞きながら待っていると、エイミーが深いため息を漏らした。そして彼女は如何にそれが難しいことかを少しだけ早口に説明し始めた。ご家族はアトランタに住んでいてとても信心深く同性愛やバイセクシュアリティーを絶対に認めないこと。エイミーはバイセクシュアルである自分に若い頃から気付き、その息苦しさから逃れるために敢えて故郷から遠いニューヨークの大学に進んだこと。頼れるものは自分だけかもしれないので、手に職をつけておかなければならないと弁護士資格を取得し、日本語も真面目に勉強したこと。いくらニューヨークでは同性婚が合法になったといっても、まだ認められていない州もあること。同性カップルへの風当たりは強く、合法とはいえ苦労すること。ましてや日本政府には婚姻自体が認識されない恐れが強いこと。エイミーはいつか自分の遺伝子を受け継ぐ子供を出産したいこと。
「エイミー。私は一般論を議論したいわけじゃないの。貴方と私の事について話したいの。貴方はこれからも私と一緒に居たくないの?」
全ての話が終わった後、なるべく冷静に聞こえるようにゆっくりとエイミーに聞いた。その声にはほんのりと懇願が混じっていて、急に気まずくなる。エイミーはじっと私の頬の辺りを見つめて黙っていたが、
「居たいわ。できるなら。」
と細い声で答えた。
「どうしてできないと思うの?」
私の疑問は答えられずに、東京にしては静かな恵比寿の夜に漂った。
 

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11