小説

『桜木伐倒譚』大宮陽一(『ワシントンの斧』)

 目を覚ましたのは夕方の五時過ぎのこと。いつもは西日の入る風呂場で少し長めの入浴を楽しみ、汗を絞りだしたところで一杯飲んで、それから机に向かう。だいたい夜の九時から午前四時まで仕事をして、それからふたたび飲み直し、ひと様が動き出すころにはベッドに入り、目を閉じる。いたって規則正しく怠惰な生活を送っているのである。
 ところがその日の私を起こしたのは、枕元の目覚まし時計ではなく、一本の電話だった。
 電話口で話すいとこの声は、実に十年ぶりに耳にするものだというのにすぐにそれが誰だかわかった。声にまで脂汗とタバコのにおいが染みついた貴志くんは、大きく息を吸い込んでから始めた。
「なあ、みいくんよ。おばあが死んだぞ!」
「はあ?」
「はあ、という言い方もないだろう。おばあが死んだんだ。やはり、誰からも連絡はなかったんだな」
「それでそれはどちらの老女のことだい?」
「どちらもこちらもあるわけないだろ! あんたのオヤジやうちの母親のおかか様だよ。睦子ばあさんが、三日前に病院で息を引き取ったのさ」
 黙って貴志くんの話を聞いていれば、なんでも私の父方の祖母が肺炎で死んだのだそうで、朝から何度となく電話をかけたものの、私が一向に受話器をとらなかったらしい。
 本家を継いだおじさん、つまり睦子ばあちゃんの長子は体調を崩して入院中であり、おじさんの嫁さんであるマリおばさんは、五年も前に熟年離婚で家を出ている。本家の孫たちといえば、やれカナダだ、やれ中国だ、と『世界を股にかけて』お仕事、生活なさっている。睦子ばあちゃんの葬式の用意をするのは、地元に残った孫のなかで最年長の貴志くんこと、電話口の彼本人になったのだ、と疲れた声で説明した。
「なあ、貴志くん。君の前にまだ葬式の準備をしてくれそうな人たちがいくらでも生きているだろう?」
「たとえば?」
「うちのオヤジでも、貴志くんとこのヨツ姉さんでもいいじゃない?」
 長いため息のあと、貴志くんは終わった話をぶり返さないでもらいたいとでも言うように、声を荒げた。
 

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