小説

『桜木伐倒譚』大宮陽一(『ワシントンの斧』)

 法螺を吹くのが仕事の者もいれば、押し黙るのが金の種という者もいる。なかには本人さえよくわかっていないことを、傲岸不遜な態度で話すことでかえって信用され、ブルドーザーで砂をかき集めるかのごとく新たな顧客を獲得していく職種もある。
私の仕事はといえば、そのどれでもあり、どれでもない。明けても暮れてもあることないこと関わらず書き連ねることで私は日銭を稼いできた。物書きなどと自認するのも恥ずかしい、面汚しならぬ紙汚しを生業としている。
 とはいえ、いやだからこそ、私は読者様の生首みたいな喉ちんこをこれでもかというほどにプルプルと震わせてやり、笑い疲れたあとにはその涙腺に働きかける秘薬をひねり出そうと苦心する。耳かきひとかき分ほどしかない話を風呂桶いっぱいまでふくらませ、類推やパラフレイズを使えるだけ使って読者様の浸かり心地のいい温度になるよう湯温を調整する。とはいえ、しかし、お客様の反応如何によっては、風呂桶の水をすべて捨て去り、最初の一文を捻じ曲げることだって厭わない。
 と、まあ、私はこうして真偽定かならざるお話を毎日作っているわけだが、皆々様がご想像できる通り、何を本当のこととして語り、またどこからが法螺で、どれが元ネタもないまったくの創作、嘘偽りなのか、語り始めた本人さえわからなくなってしまうものである。
 何かを書きはじめるときには、決まって机の端っこに物語の設計図とでも呼べそうな紙切れが置いてあるのに、実際にワープロソフトを使って打ちこみ始めれば、物語のなかにある固有のリズムに私自身が流されて、設計図とは似ても似つかぬ字面が出来上がっているということもしばしばであり、設計図に記しておいた物語の結節点や屈曲場所なんて、ほとんど意味を成しはしない。参考資料のなかにはあらかじめ本文で使用することを計画した気の利いた文言やまとまった文書もあったはずなのに、気づいた時には、そんなものを入れる余地はどこにもなく、規定の原稿ばかりを消費して、あれよあれよ、と話が終わる。
 さあ、困った。
 

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