小説

『もうひとつのアリとキリギリス』小倉正司(『アリとキリギリス』)

「やっぱり春は気持ちいいなー」
 背伸びをしながらキリギリスは叫びました。するとそこに後ろから声をかけるものがいました。
「おい」
 その声にキリギリスが振り向くと、あのアリの上司が立っていました。
「あなたは・・アリくんの上司ですね」
「ああ、そうだ。あんたも無事に冬を越せたようだな」
 アリの上司は言いました。
「ええ、おかげさまで。あなたも元気そうでなによりです。そういえば、あのアリくんも元気でやっていますか」
 キリギリスのその問いにアリの上司は言いました。
「さあ、知らんな」
「えっ、知らないって、それはどういう意味ですか」
 キリギリスは驚いて聞き返しました。
「どういう意味もないよ。知らないから知らないって言っているんだ」
 その答えにキリギリスがいぶかっているのを見て、アリの上司はこう続けました。
「あいつは巣を出て行ったんだよ」
「巣を出て行ったですって」
「ああそうだよ。出て行ったよ」
「なにか自分のやりたいことがみつかって出て行ったんですか」
 キリギリスはてっきりアリさんが自分のやりたいことをとうとう見つけたんだと思い、大きな声で聞きました。
「いや、そうじゃないよ」
「ちがうんですか。だったらいったいなぜアリさんは巣を出て行ったんですか」
アリの上司は一瞬ためらうような表情を見せましたが、その後何事もなかったようにこう言いました
「出て行ったんじゃなくて、出されたんだよ」
「出されたってどういうことですか」
「どういうことって別に驚くことじゃないよ。あんたも知ってのとおり、去年の夏は暑すぎただろう。そのためにあまり食べものが集められなかったところに、寒い冬が追い打ちをかけたんだ。大雪が降り、その重みで巣の一部が崩れてしまい、運悪くその崩れたところが食糧庫のひとつだったんだ。おかげで巣に暮らすアリ全員が無事に冬を越せるだけの食べものを確保することができなくなり、やむおえず口減らしのために何匹かのアリに巣を出て行ってもらったんだ。そのアリたちの中にあいつもいたってわけさ」
 アリの上司はこともなげに言い放ちました。
 

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