小説

『虫の家』荒井始(『変身』フランツ・カフカ)

 俺は煙を上空に吐き出しながら満腹の余韻に浸って椅子の背もたれをぎしぎしと軋らせた。不意に俺は思い出して老人に尋ねた。
「そういえば家の前におかしな警官がいたんだが、あれは何かね」
 すると老人はさっと青ざめて黙り込んだ。
 これは余計なことを聞いてしまったかと後悔したがもう遅い。
「そんなのがいたか?」
 髭の男が訝しげに俺を見た。
「いたよ。太った警官だ。じっとこちらを見ていた」
 ギョロ目の男がふんと鼻を鳴らした。きっと信じていないのだろう。俺のことをヤク中の妄想症だと思っているのだ。
「やっぱり今日もいましたか」
 エプロンで手を拭きながらやって来たのは奥方だった。
「娘にしつこく言い寄ってきて困っているんです。相手が警官なので訴え出ることも出来なくて」
 そんな奴がいるのか。俺は柄にもなく怒りが身内に沸き立つのを感じた。ギョロ目の男も途端に憤慨した表情を浮かべて言った。
「それはけしからん。どれ、俺が言って来てやろう」
 すると女房は慌ててなだめた。
「大事にはしたくないのです。それに皆さんにもご面倒をお掛けしてしまいますので、どうかあの警官には近付かないようにお願い致します」
 ギョロ目の男は不機嫌そうに体を揺すった。それを見て娘が話題を変えた。
「そういえば皆さんは何のお仕事でこちらにいらしたのかしら。何か作ってらっしゃるのでしょう?」
 若々しいその目はきらきらと輝いて俺達を見た。その中には興味に駆られた幼さが垣間見えた。
「橋だよ」
 俺は言った。
「川向こうとこちらを繋ぐ橋を作っているんだ」
 すると娘の目から興味の色は消え、その表情からは落胆がにじみ出始めた。おそらくはデパートや公園など遊ぶためのものを期待していたのだろう。
 ふと視線を感じて周囲を見回すと、キッチンへと続く扉の陰から小さな頭が覗いていた。
 

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