小説

『雪まろげ』貴島智子(雨月物語『菊花の約』)

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 いつだったか。銕之丞(てつのじょう)の父上・小野寺采女(うねめ)様が、私と銕之丞の事を雪まろげのようだと笑った事があった。真っ白い小さな芯が転がって、周りの柔らかな雪を次々と纏い、次第に手から余るほど大きな固まりになる。それが雪まろげ。方々を飛び回り、様々な事を会得する二人の姿がその様子と重なるという事らしい。風流な采女様らしい例えだが、そんな子供じみた遊びにたとえられてしまうとは、いささか心外だ。

 奥野馨(かおる)は、釈然としない気持ちを抱えながら、落ちては消える庭の雪をぼんやりと眺めていた。雪を見ると決まってあの出来事を思い出すのである。

 それは、馨と銕之丞が、采女様の遣いで加賀に逗留した時の事であった。百万石の町並みは屋根という屋根が雪ぼうしを被り、夜でも薄っすらとした輝きを放っていた。そんな凛とした寒さの中で作られる加賀の酒は殊更に旨い。この旨い酒が楽しめるのもあと僅かと、名残惜しく酌み交わす酒は、二人の心をたいそう深く酔わせた。
「お二人さん、今日はやけにご機嫌でございますね。もう一本おつけしましょうか」
 行き着けとなっていた飯屋の女将が、いつになく紅潮した顔の二人をおもしろそうに眺め、酌をとった。美人な女将にすすめられては……と、ぐいぐい酒を煽る銕之丞。いつもであれば、そろそろこの辺でと銕之丞を窘める馨も、もはや前後不覚の状態である。二人は、更に寝酒にと徳利を一本土産にして店を出た。
 外は色も音も失ったかのような静けさで、雪だけがふわりふわりと遊んでいる。雪道はやわらかく沈み、ただでさえ覚束ぬ二人の足元を掬った。あっ、と銕之丞が小さな悲鳴を上げた瞬間、引き締まった肢体がごろんと仰向けに転がった。その拍子に、手にしていた徳利までもが逆さになり、人肌程のまろやかな液体が銕之丞の顔をぱしゃりと覆った。並んで歩いていた馨だが、その事態に全く気付くことなく、上機嫌に独り言を言いながら、よろよろと歩き続けた。
……いや、独り言ではなかった。
 横に銕之丞が居ると疑わず、国に帰ってからの算段を熱心に語っていたのだ。いつもであれば馨の考えに二、三意見する銕之丞であるが、今日は珍しく大人しく聞いている。馨が不思議に思っていると、おーい、おーいと力無い声が後ろから微かに響いてきた。振り返り、目を細めて声のほうを見やる。すると、うっすらと雪に覆われた塊がうごめいていた。馨はようやく事態を飲み込み、慌ててその塊の元へ引き返した。やっとの思いで塊のそばまで近寄ると、酒と雪にまみれた銕之丞が馨の名前を呼んでいた。その醜態に馨は
「なんだ、おぬし。寝酒を待ちきれずこんなところで雪見酒か」
 大笑いをしながら、しばらくそうして酔いを覚ませと、銕之丞から少し離れた場所へしゃがみこんだ。起こしてくれと、しきりに馨を呼ぶものの、銕之丞に背中を向け熱心に何かをこさえているようでまるで取り合ってくれない。
(なんだ、人を雪だるまか何かと思っているのか。呼んでも返事をしないとは失敬な)
 

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