小説

『観音になったチューすけの話』入江巽(狂言『仏師』)

二、約半年前、二〇一四年七月六日(日)、明け方、スタチュのチューすけが知ったおもしろドイツ人のこと

 そもそもヒロキというのは、俺の大道芸仲間のジャグラー・ヨッさんのともだちやった。いつの間にか俺のほうとかえって仲良うなり、いっしょにゲロを吐くようになった泥酔の道連れで、現代美術家を自称しとる奴や。俺と違って大学出とって、わけのわからん映像作品をたくさん撮っとる。
 俺たちふたりはその夜、木屋町を四軒流れ、あげくの早朝の王将、京都三条店、ビールをまだガブガブと飲み続けとった。ビールから白ワイン、ジン、テキーラ、ウォッカ、アブサンと酒はめぐり、飲み屋から締め出される朝の四時や五時、ほかの仲間はみな帰り、酒にだらしのない二人だけグズグズ残るの、いつものこと。
 そういう時はもう投げやり、店どこでもよく、王将や吉野家でふたたび飲み始めのビールに戻る。俺たちはこのこと、ビールではじまる晩ごはん、ビールに終わる朝ごはん、言うていた。
 ヒロキは、京都・四条大宮に住んどる。食うためにしとるのは結婚式で流すビデオやスライドショーをつくる仕事、花嫁と花婿の思い出写真など編集する作業途中、ふたりの来し方に思いめぐらし、結婚おめでとうよかったねよかったねと言いながらひとりオナニーするのが無性に好きらしく、仕事は割と気にいっとると言うていた。アホや。
 こいつと仲良うなってから、それまで馴染みのなかった河原町あたりでヨタることが多くなっていた。二十五年間、俺は、ほぼまったく大阪から出たことなかった。都島の高校出てすぐ、前住んどった奴が首つりしたらしく格安四万円のアパート、幽霊は気にせず北堀江に借りてから、行動範囲はさらに狭まり、心斎橋駅の一キロ半径、あまり出ずに俺は暮らしていた。だから、ヒロキと飲みたおす京都の街、新鮮でおもしろかった。
「お前な、パブロ・ウェンデルいうドイツの現代美術家、知ってるか」
 ようわからんひとの名前を言うので、知らん、言うた。ヒロキはいつもこんな風、まわりのことから話していくのでまどろっこしいが、こいつと話しとるとかしこなる気がする。
「兵馬俑ってあるやろ。えっそれも知らんのか。お前はやっぱ、混ぜモンのない感じの男やな。中国のむかしむかし、始皇帝いう皇帝がおった。その皇帝のお墓がある。それが兵馬俑というもので、めちゃでかい。そこには、えらい数の、人間とおんなし大きさのテラコッタが副葬品として埋められてたんや。ほんまにごっつい数やで。そこ、いま観光地になっとる」
 それがどうしたんや、言うた。
「まあ聞け。そいでな、テラコッタは始皇帝の時代の兵隊の格好をしとる。ちょっと違うけど、はにわのはに丸を想像したらだいたいいっしょや。でな、俺らと同じくらいの年のパブロ・ウェンデルいうドイツ人が何年か前、中国におった」
「ともだちか」
「ちゃう。そいつが兵馬俑でなにしたか。ここがおもしろい。そいつはな、兵馬俑のテラコッタのコスプレして、兵馬俑のひとりとして勝手にそんなか、混じったんや。微動だにせず、そいつはテラコッタのひとりみたいな顔しとった。すぐばれて、逮捕された。中国で逮捕されるなんて、日本で逮捕されるのとちゃうで。パブロは根性ある奴なんや、知らんけど。結局こいつはな、強制送還だけで済んだ。兵馬俑のなにかを傷つけたわけやないしな。文化遺産の一部に自分がなろうとしただけや。そら、警備の責任者かなんかのクビは飛んだかもしれんし、パブロもめちゃ怒られたやろうけどナ」

 

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