小説

『観音になったチューすけの話』入江巽(狂言『仏師』)

 骨折せんかったら、はじめなかったかもしれんナ。はじめてスタチュしとる奴を見たのは、学校終われば三角公園周辺でスケボーしてばかりいた、七年前、高三の秋やった。当時の俺、ションボリしとったわ。スケボーしてたらコケたんや。右ヒジの骨を割と深刻な感じで折ってしまい、しばらく滑れなくなった。休まずまいにち、夢中でやっていたことに空白ができるというのは不思議なもんで、骨折して二週間も経つころ、からだの治りと反比例するよに、スケボー、俺もうやりたくなくなっていた。自分のことなのにその気持ちにびっくりして、そのせいでションボリしてた。そんで、そんなボンヤリしたある日、スタチュしとる奴をはじめて見た。俺とあまり歳が変わらん十代の奴に見えた。そいつ、襟付き長袖シャツとジーンズ身につけていたが、どちらも真っ白なやつで、革靴も白かった。顔と手の平も白塗り、髪までチョークの粉みたいなんまぶしてた。そらもうぜんぶ、白かった。公園の真ん中までそいつスタスタ進み立ち止まって、あしもとにコーヒー豆を入れて売ってるよなおおきめの空き缶、置いた。そいで、かかんだ体を起こした瞬間、両腕を赤ん坊を抱きしめるみたいなかたちにつくり、ピタッ、動きを完全に止めよった。
 あっ、俺は声が出た。時間、止まった。ホンマにそう思うて、息を吞んだ。ダラダラと、ザワザワと、流れていた三角公園の時間は、そいつの周りだけ、止まってもうてた。区切りのない雑踏のなかに焦点がいきなり現れたようで、俺の時間まで吸い込まれた。雑踏の音、遠のいた。
 これはなんやと眼が離せんくなった。興奮していた。俺にとってなにか、とても大切なものを見ているよな気がした。大袈裟に言えば、そんとき、それからの身の振り方の一切を俺は決めたんやと思う。
 眼を逸らさないようにしながら、肩の筋肉は動くのでそれ活かし、ケガして動かない右ヒジ、ゆっくり自分の視界のなかに入れた。三角公園のしまりなく流れる時間、止めてしまったそいつの行為は、ギブスで固められた俺の右ヒジと似とった。右ヒジ以外、からだのすべての場所は動かせる。だからこそ、ニセモノなんちゃうかと思うた。石膏に塗り固められた俺の右手のほうがホンモノな気がした。落ち着きなくスケボーでジャンプすることに夢中やった時間は、もうけして戻ってこん、悟った。どんだけうまく跳べても、スピードや高さの動きの中で勝負している限り、お前というものは流れていく雑踏とおんなしやで、とそいつに言われとる気がした。動かないことがこんなに街の中に焦点を生むとは、考えもせんかった。
 そうか動くことに俺は飽きとったんや。気づいた。
 これや、次はこれをやろ、そう思うた。
 そいつパフォーマンスやめ、動きだし、時間は戻ってきた。空き缶に通行人が入れた小銭拾い集め、またスタスタとそいつ消えていくの、俺は見ているだけやった。声かけて、あんたがしとるそういうのなんと言うんですか、やりかた教えてもらえませんやろか、聞けばよかったんやけど俺、感動したもの、好きなものにすぐに笑顔で駆け寄れるような人種ではない。それに、やり方なんか聞かんでええと思うていた。

 ナメた言い草と思うかもしれんが、俺にもできると思うた。この出来事より前、三角公園の仲間のなかにいた鋲ジャンパンクのスパイキーヘア、日本人なのにジョニー呼ばれとるやつにパンクってなんやって聞いたら、それは俺にもできるとみんなに思わせる表現のことやと言うていて、なんとなくいいこと聞いたよな気がして、ずっと覚えてた。芸をナメてるんやなく、俺が言いたいのはそういうことで、我が身に引き受けられるものにスタチュが思えた、ということ。動かないことがんばって、世界の時間を止めたんねん。そういう気持ちではじめた。

 七年はあっという間、そして今日の観音です。
 七条通りの三十三間堂に忍び込んだんは夜中の二時半、すきを見て観音の一員に加わったんが朝の八時半。ああ、それからどんくらいたったんやろ。とっくに拝観はじまったから、九時は確実に過ぎとるはず。
 

1 2 3 4 5 6 7 8