小説

『寝太郎と私』平井玉(『三年寝太郎』)

 サクラが必要なほど参列者が少ないのか、新手の詐欺なのか、三十前後に見える寝太郎は親に隠れた婆専で、四十すぎの私に惚れていたのか。どんな理由もピンとこないまま、スーツの中で唯一まだ持っていた黒の上下を着て行った。寝太郎の父親はまだ現役の会社員でそこそこ偉かったらしく、受付の前にはディズニーランドかとつっこみたくなるくらいの行列ができていた。翌日は勤務日じゃないので、寝坊できるし何の予定も無い。ぼんやりと人の流れに任せた。焼香の後、精進落としが用意された座敷の片隅に座り、人と待ち合わせている体で、のんびり寿司をつまんで待った。喪主である寝太郎が現れるまでには時間がかかるだろうと腹をくくっていた。隣には、色々なグループが入れ代わり立ち代わり座った。葬式は、突然決まったクラス会のようなものだ。久々に会う友人、親戚らが、はしゃがないように気を付けながら旧交を温める。隣の人々の話を漏れ聞いただけで、寝太郎の父(商社マン。出世競争に負けて子会社に出向。あと数年で定年を迎える予定だった)や母(専業主婦。教育熱心。一人っ子である寝太郎の就職が決まってからは手持無沙汰になり、奥手な息子のために嫁を物色し始めた所だった)の人となりがわかった。仲の良い夫婦で、健康の為に早朝ウォーキングをしていたところ、酔っ払い運転の車にひかれてしまったらしかった。寝太郎自身の友人、同僚も現れた。中高一貫男子校の友人たちは寝太郎のことより互いの仕事のことに興味津々。私立有名大学の友人たち(寝太郎の所属はワンダーフォーゲルのサークル。アウトドア派だったとは意外)は仲間の一人が授かり婚をすることになったとやらで、結婚についてややマイナス気味に語り合い、互いを探り合っていた。現在の同僚たちは、寝太郎がぼけっと見える割に顧客がついていることの謎について語り合い、誠実そうに見えるのがポイントなのかねえ、とか、初めに勤めた地方銀行が意外といい仕事してるから教育が良かったんじゃないかとか、やっぱりアメリカエリート校のMBA(地方銀行勤務後留学して取得。その後転職に成功したようだ)は腐っても鯛だとか、そんな話をしていた。同僚らは皆仕立てのいいスーツを着ていて、そういえば寝太郎もいい生地のものを着ていたことを思い出した。寝不足でだらんとなっている寝太郎の体を支えているのは筋力ではなく、しっかり仕立てられたスーツの力なんじゃないかとちらっと思ったことがある。食い散らされた寿司桶が砂漠の雑草のように点々と残る座敷に寝太郎が現れた時も、新品の礼服を脱いだ途端にスライム化して崩れ落ちる姿が頭に浮かんだ。
「今日は本当にありがとうございます」
 教育熱心な専業主婦に育てられた寝太郎は、思えば礼儀正しかった。が、その後切り出した「お願い」はへんちくりんなものだった。
「つまり、これからしばらくひきこもるから、食事を届けて欲しいということ?」
「食事じゃなくていいです。コンビニで食べ物を買ってくれる感じで」

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