小説

『故郷』智子(『放浪記』林芙美子)

 地下書庫はこの図書館で何処よりも、本の香りが強いし、静寂に支配されている。それに気を取られて横に人間がいることに気づけなかったようだ。
「こちらこそすみません。この本じゃなくても大丈夫なのでどうぞ」
 私はそう言って、別の町の名前が書いてある本を手に取る。この街も住んでいたことがある。この街を故郷と言って白々しいレポートを書くことができる。
「あれ?同じ授業の人ですか?いつも最前列に座っている」
 同じ本を手にした人物は驚いたように科目名を言いながらそう言ってきた。
 その声は、あの授業中に当てられて発言してた声だった。私はその授業が好きなので、いつも最前列に座っているから、他の生徒の顔は知らないけども、発言した人の声は知っている。
「そうですよ」
 私はそう言いながら、パラパラと本をめくる。なんかその土地の面白そうな歴史が目に止まる。これを発展させたらどうやらレポートが書けそうであるなあと思う。
「あれ?じゃあ同じ街出身なのですね!気づかなかった!私は、ここ来るまでずっとあの街に住んでいたのに!」
 その人は嬉しそうに言う。
「出身じゃありません。昔、ちょっとだけ住んでいただけですからね」
 私はそう言って、親の転勤であまり同じ土地に長く滞在しなかった旨を言う。
「でも故郷と言えるぐらい私の街が好きってありがとうね。それなのに本、私の方が借りて良いとか良いの?」
 その人が心配そうに言う。ざっと見たところ、この書棚には、この土地について書かれた本はこれしかないようだ。この本を彼女が借りることは、私はこの街についてレポートが書けなくなることを意味する。
 やはりこの土地の人は優しい。
「いいのさ、もう別の話題をみつけたからさ。それにそれが本当に故郷の人がその本を使うべきさ」
 私はそう言って、別の街について書かれた本を書棚からもう2冊ほど手に取ってパラパラと見る。そして、この二冊とさっき手に取った本があれば、十分レポートがかけるだろうことを確認する。
 そしていつものように、バーコードを全て上にするように本を並び替え、首にかけてた学生証をケースから出し本の上に乗せる。
 そうすると、図書館の人がスムーズに貸し出し手続きをしてくれるのだ。
 「あれ!?もしかして、小学校の時に転校していった!?」
 横にいた人が、学生証を指差しながらちょっとだけ大きい声で言う。そして、かつて私が在籍していた小学校名を言う。
 そしてその人も財布の中から学生証を取り出して、私に見せてくる。
 驚いた。これは、あの優しい、昔の小学校の時の友達だ。
 どうしてずっと気づかなかったのだ。
 ええええええ!と叫びたくなる気持ちを一生懸命抑えて友達をまじまじと見る。
 約10年ぶりの、友との再会の瞬間であった。

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