小説

『白い手袋の男』あおきゆか(『妙な話』芥川龍之介)

「その人、明日よろしくお願いしますって言ってたわよ」
 明日というのは、選挙日のことでしょう。いったい選挙当日に僕に何を期待しているのか。選挙に行けとか?僕は病院の行帰りにまたあいつに会うのではないかと気が気ではありませんでした。
 それからうつむきがちに誰もいない実家に戻りました。とりあえず家にいれば何も起きないだろう。明日になってしまえばもうあいつに追い回されることもない、と僕は考えました。なかば自分で自分を騙すように。
 しばらく居間でテレビを見て、ごろごろして、いい加減夜も更けてきたので自分の部屋に入ろうと、ふと壁に掛けられた時計を見ると十一時五十八分をさしています。それはいまどき古臭い鳩時計で、一時間ごとに鳩がとびだしてぼん、ぼんと時を知らせます。あと二分、十二時になったら時計がぼんぼんといって明日を告げることでしょう。
僕は部屋に入り、なんとはなしに机の前に座りました。そして両手を後ろに回し、椅子の背にのしかかって後ろにぐうんと伸びをしました。そのとき、伸ばした足に何かがぶつかったのです。
「いてっ」
 僕は机のしたにもぐりこんでぶつかったものを取り出しまた。それは三百ミリリットル入りミルクティーのペットボトルでした。半年前に、地元のばあさんがやってる酒屋で、ばあさんがぼうっとしていることをいいことにもらってきたお茶です。
 もらってきたって。もちろん万引きしたんだけど。別に飲みたくなんかなかったんだ。ただなんとなく、ばあさんがぼうっとして、俺のことを見ていなかったし。やたら暑かったし。
 消費期限を見ると、二〇一×年、二月十二日。
 それは僕の誕生日。
 ぼん、ぼん。
 時計が十二時を打ちました。いま、僕には選挙権があります。

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