小説

『走ってるんだよな? お前』川月周(『走れメロス』太宰治)

 俺は締口の向かいに座ってコンビニ袋の中身をちゃぶ台の上に広げると缶ビールの蓋を開けた。
 おめでとう。と缶をぶつける。サンキュ、と照れる締口と視線を交わらせてグイッと喉の奥までビールを流し込んだ。
 二人きりの宴会は大いに盛り上がった。やはり締口の話は面白い。小気味良いリズムで素っ頓狂な言葉が飛び交う。
 中でも、何の仕事に就いたのか。の質問に「街の掃除屋さん」の返答が一番笑えた。どうりでこの部屋に何もない訳だと腹を抱えた。
「もう電車ないだろ。泊まっていけよ」
 締口の提案は助かったが、布団があるのかが不安だった。この提案で思い出したさっきの疑問をいよいよ口にしようとした時、玄関がけたたましく鳴り響いた。
「おう! 開けろこら! おう!」
 一瞬で場の空気が凍り付く。何かの間違いじゃないか、もしかして隣と間違えていのか、と思ったがどうやらそう言う訳でもないらしい。
 目の前に座る締口の顔が「しまった」といった具合に歪んでいた。
 中途半端に浮いた缶ビールを持つ手をそっとテーブルに置く。さて、どうしたものか。このアパートから抜け出す方法は。と思案を巡らせていると締口が立ち上がり玄関の方へと歩いていく。
 俺には締口の考えがまるでわからなかったが、こいつが俺に迷惑をかけるはずがないという自信のせいか、はたまた恐怖で身がすくんでいただけなのか。
 俺は止める素振りすら見せずに玄関の鍵を開ける締口の背中を眺めていた。
 だが、そこからはひどいものだった。開けた瞬間に嵐が飛び込んで来た。
 飛び込んできた二人のジャージ姿の男に締口はめちゃくちゃに殴られ、それを止めに入った俺も数発殴られた。
 数発で黙り込んでしまう自分が情けなかったが、程なくして玄関先に立っていたスーツ姿の男が二人の男を制止する。
 土足で上がり込んだままその男達は俺と締口に正座を強要し、スーツ姿の男が胸ポケットから紙を取り出した。
「わかってるよな締口。今日が期限だ」
 目の前に晒されたのは一枚の契約書。額面は三百万と書かれていた。
「実は給料を前借りして受け取るのが明日になってしまったんだ。だから明日まで待ってもらえないだろうか?」
 顔から血を流した締口が男と視線を合わせる。
「誰がそんな嘘信じんだよ!」
 隣の若い男が口を挟んだ。締口はそいつに顔を向ける。
「本当だ。必ず返せる」
「兄貴。絶対嘘っす。三百万前借り出来る仕事なんてないっすよ」
「ここで逃がしたらまた行方くらましますよ絶対。」
 両隣にいる若い男達は締口を威嚇するように顔を覗きこんだ。
「よう締口よ。それ本当なんだな?」
 スーツの男が溜め息混じりに契約書を胸ポケットにしまう。

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